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2021-12-09 00:00
庇護の下の「平時憲法」
荒木 和博
特定失踪者問題調査会代表
先週末に第3回北朝鮮人権映画祭が行われ、新潟に滞在しました。各団体が協力して構成する実行委員会(委員長は佐伯浩明・守る会理事長)で、私は事務局長を務めています。昨年の映画祭は開催の確か2日前に大阪府が新型コロナウイルス感染拡大の「赤信号」を発表し、開催するか中止するかと大騒ぎになりました。結果的には無観客開催、ただし来てしまった人は入れるという形で無事に終わりました。しかし、調査会の行事になると、毎回のようにアクシデントがあります。一昨年神戸でデモと集会をやろうとしたら台風が直撃して去年の3月に延期になり、その3月はコロナの感染拡大が進んで開催するかどうか最後まで悩みました。10年前、1万キロ現地調査(当初は1000キロ現地調査)の開始予定日は東日本大震災の前日で、3か月延期になりました。細かいアクシデントなら調査会行事のたびに数限りなく起きており、何もないと寂しい、というか、逆に大丈夫かと不安になる位です。
このように、映画祭の実行委員会にせよ特定失踪者問題調査会にせよ、何かが運営されれば、かならずそれを脅かす緊急や非常のインシデントというのが起こります。で、突然規模が飛躍しますが、それは国家の運営においても同様で当然備えておかなければならないでしょう。憲法改正で緊急事態条項をどうするとかこうするとか議論が出ていますが、今の憲法、「平和憲法」というのは名ばかりで「平時憲法」なんではないでしょうか(この言葉は私のオリジナルではありません)。米国の庇護の下、何も起きないことを前提としたサファリパーク的な国家であり続けてきたから、それが維持できた。そして拉致事件のようにそこから外れることは「あってはならないから、なかったことにしよう」としてきたのだと思います。
しかしコロナの感染拡大だけでも分かるように、もうそんなことは言っていられません。中国が尖閣に手を出すのも時間の問題かもしれず、そもそも拉致被害者の状況は時間が経過する分悪化していきます。非常事態になったとき、非常事態が記載されていない憲法の場合は何もしないで国家の破滅を待つか、そうでなければ政府の責任において超法規的に行動するしかありません。書かれていればそれに越したことはありませんが、書いてあればあったで法律の条文に縛られて「今は何とか事態」だ「いや、かんとか事態だ」などと言っている間に時間が過ぎてしまう可能性もあります。今のように何も書いていない方が楽かもしれません。
いずれにしても、「何か起きるのが当然」と思っていた方良いのでしょう。現在の政府の拉致問題への取り組みは明らかに「平時」の取り組みであり、その認識を「非常事態」であると変えられればが進展も早いように思います。
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