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2021-11-05 00:00
「7月7日は七夕」だけでは教養たらぬを読んで考える
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
姉妹e-論壇「議論百出」10月30日付け投稿の伊藤洋氏の論述は、日本のインテリの一つの対中国への論評の典型とも思える内容だ。伊藤氏に文句をつけるわけではないが、中国の現場でのたうち回る経験を持つ筆者から言うと、普通の常識ではその通りです、しかし、対中国となるとそうした常識一本やりでは対応できないのです、と泣き言を言ってみたくなる。いままで、対日批判が中国の「おはこ」であったのが、中国が力をつけてきて、各国とやり取りをする中で、日本への風当たりがやや収まってきた。日本への恨みも他への恨みに拡散され、薄まりつつあるのではないかとおもっていただけに、この罰金事件は筆者にはちょっと意外な気味があるのだ。大体最近の中国は、1937年7月7日の盧溝橋事件を遡って、1931年9月18日の満州事変を持ち出すことが多くなってきた。
現地にいると7月7日、9月18日は、ひっそりと暮らす邦人がほとんどだ。ソニーの肩を持つわけではないが、こうした新製品発表会の日にち設定など、中国のお得意さんや関係機関の幹部のご都合などで決まることが多い。日本の担当者が7月7日はと首をかしげても、「大丈夫」と一蹴される。しかし、なんでもありの千変万化するかの国では、突如このような事態となる。1千万ちょっとの金なら、必要経費と会社側は見ていたともとれる。それにソニーは、米でもビジネスをしているのだ。こうした罰金は米での印象をよくする手段かもしれないと勘ぐってしまう。日本は、米中の間で右顧左眄しながら動き回らなければならないのだ。毅然と真っ向勝負はだめなのだ。
皆が忘れてしまっているようだが、満州事件と日本企業の関係での事件でいうと、2003年日本の某企業が起こした、広東省の経済特区の一つの珠海市で起こした事件だ。400人余りの大集団で集団買春を起こしたとされる。広島で原爆投下の日に米国の企業が市内のあいまい宿を貸し切って、盛り上がったようなものだ。ときは小泉政権末期で、同首相に見切りをつけていた中国はここぞとばかりにこの事件で叩いた。北京での報道、その頃はいろいろな新聞雑誌が新規に発行されだし今よりメディアは元気だった。北京に対応して、香港のメディアも盛り上がった。筆者は、その頃広東省にいたが、これから反日の嵐が吹きまくると震えていた。ある知人は、この企業の慰安旅行をアレンジした担当者は本当に馬鹿だ。ほんの1時間先には自由の土地、マカオがあり、そこではこんなことはいくらでも自由なのにと文句を言っていた。
しかし、北京、香港で大騒ぎしたが、地元の広東省は意外と静かだった。これは今から思うといろいろな解釈ができる。歴史的に広東省は日本へ好意を持っ。アヘン戦争などを仕掛けられその後の国の衰退を招いた英や仏などより、日本の方がまだましだと思う人がいても不思議ではない。また海南島事件の余韻が残っていた。これは米軍の偵察機に中国の戦闘機が脅しの飛行をした。ところが、未熟で体当たりしてしまい、大型の米軍の偵察機は、海南島へ緊急着陸をした事件だ。広東省の特に軍関係者は、国家の主権を無視したような、米軍の偵察行為に怒り心頭で、その分日本とは少し仲良くしたほうが良いと考えたのか。いや、その前の広東省が震源地となったSARS騒動の時、日本から感染症の専門家を派遣してもらったり、物資の緊急支援で恩に着ていた。WHOのアジア班に尾身さんがおられ、大車輪でアドバイスや支援を行ってくれたからだなど考えられる。広東省の大手の新聞のヘッドは、軍の天下りが多いので戦略的見地からだと言う邦人もいた。いずれにしろ、日本料理店がぶっ壊されたり、暴徒に襲われ半身不随になることが無かったのだ。中国は不思議な一面も持つ国なのだ。
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