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2021-11-03 00:00
(連載1)ビジネス目線で見る枝野幸男氏の敗因
岡本 裕明
海外事業経営者
私は枝野氏は賞味期限切れだと申し上げました。選挙を踏まえて福山哲郎幹事長が辞意を表明したもののその時、枝野氏はまだやる気でした。が、すぐにその強気の姿勢は崩れ去るようになり、11月2日に何かを発表するとしました。直感的に辞めるとみていました。「枝野氏の敗因は何か」ですが今回の選挙だけを見れば共産党を含む野党との共闘が祟ったということになるのですが、ここに至るまでの道のりで枝野氏は勘違いを犯していました。それはビジネス目線だとよくわかるかと思います。
枝野氏が立憲民主党を立ち上げたのは2017年。当時を思い出してみましょう。旧民主党の流れを受けた民進党の代表は前原誠司氏。そして9月の衆議院選挙直前に前原氏は小池百合子氏率いる希望の党への合流を決めます。が、小池氏はリベラルや左派を「排除する」という強い姿勢を示し、民進党は瓦解します。そこで行き先を失った議員の受け皿として枝野氏が立ち上げた立憲民主党が機能し始めます。その点では小池百合子氏のあの発言がなければ枝野氏の立憲民主党はなかったのかもしれません。偶然の産物でありますが、歴史とはこうやって作られていくのでしょう。
さて、枝野氏はコアな支持層を梃にどんどん議員数を増やします。18年には旧国民民主党との共同会派を結成し、代表選では国民出身の泉健太氏との選挙に勝ち、頑強な枝野体制が生まれます。ただ、枝野氏はここでロジックスの過ちを犯したのです。
彼はこう考えたわけです。「たった一人の党から野党第一党、そして100人を超える野党に成長へ」であります。枝野氏の成長理論は野党共闘という形で共産党までも巻き込む勝負に出ます。多分ですが、枝野氏は日本に二大政党時代を持ち込めばあとは世論の後押しで再度、自分たちで政権奪取できるだろうと考えたはずです。ではビジネスの論理と照らし合わせると何が違ったのでしょうか?(つづく)
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