ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
本文を修正後、投稿パスワードを入力し、「確認画面を表示する」ボタンをクリックして下さい。
2021-02-08 00:00
(連載2)言論の自由とマスコミ統制・自粛・忖度
李 鋼哲
大学教員
では、報道の自由度が45番目のアメリカはどうだろうか?今度の大統領選挙を通じて、筆者の民主主義に対する信奉は完全に崩れてしまった。筆者は多言語の優位を生かして、今度の選挙戦に深い関心を持ってYouTubeなどに頼り、台湾のメディア、韓国のメディア、アメリカの華人系メディアなどを通じて、一般の主流メディアでは取り上げていない「裏の情報」を毎日のように目の当たりにして、選挙過程の実態が客観的に報道されていないことにがっかりした。
結論的に言うとアメリカの民主主義はもう崩壊している。なぜなら主流メディアは真実の一面しか報道しないからだ。「不正選挙」で「権力がもぎ取られている」ことには目をつむっており、エスタブリッシュメント勢力がアメリカ憲法や民主主義を踏みにじっていることについては、ほとんど報道されていない。SNSやネットメディアは政治的に主張が違う人々のメディアへのアクセスを封殺、ツイッターがトランプ大統領を封殺したのが典型的で、世界最大の民主主義国家の大統領がメディアの自主判断によって発言が封印されるという前代未聞の事態が発生しているのだ。ツイッターだけではない、Facebookなど他の主流ソーシャルメディアは、自分たちの判断基準(ファクトチェック)に則って国民の声を封殺しており、これは国家権力ではないメディアの言語道断であろう。メディアが偏向の報道しかしないとき、国民は政治判断の材料としての真実を手にすることができず、そうなったら民主主義の実行手段である選挙の公正性・公平性はゆがんでしまい、民主主義はもはや崩壊したと言っても過言ではないだろう。
公正、公平に真実を国民に知らせる使命を背負っているはずのメディア(筆者の価値判断基準で)が中立性を失い、政治に介入する時、公正、公平、自由な報道はもはや望めないのではないか?筆者が信奉し追求してきた民主主義の価値観、哲学や理念はもはや心の中で崩れていくような気がしてたまらない。筆者は今後独裁政権を批判する根拠を失いかねない。独裁政権でメディアが厳しくコントロールされていることは誰もがわかっている事実だ。しかし、民主主義国家では言論統制は「論外」だと思われる民衆が多いのではないか?いずれも国民が真実を知る権利を奪われている点では「五十歩百歩」ではなかろうか?独裁国家の「リーダー」や「知性人」は今度のアメリカ選挙戦を見て、民主主義総本山の米国をあざ笑っている。「ほら、やはり民主主義も偽善ではないか?言論の自由も嘘ではないか?」、「やはり我々の体制が優越だ」と。かれらは新型コロナ禍への対応についても「制度的優越性」を強調する。
だからと言って、言論の自由を無慈悲に弾圧する独裁政権が自分たちを正当化できるとは到底思えない。いつかは国民から見捨てられるに違いない。かの国は主権在民の「人民共和国」であり、封建王朝ではないのだから。かつて「無産階級(プロレタリア)の独裁」を掲げて百姓のために造った政権は、今や「有産階級(ブルジョア)とエリート階級の独裁」に変質したように思われてならない。どこの国でも、いつの時代でも、国民の民意をくみ取り真に国民のための政治を行わない政権は、安定して長続きすることができないと筆者は考えている。中国の古典にも「水能載舟、亦能覆舟」《荀子哀公》という名言がある。その意味は、為政者は船の如く、民は水の如し;水は船を乗せて安全に航行することもできるが、船を倒して沈没させることもできる。為政者に対する戒めの諺である。(おわり)
投稿パスワード
本人確認のため投稿時のパスワードを入力して下さい。
パスワードをお忘れの方は
こちら
からお問い合わせください
確認画面を表示する
記事一覧へ戻る
東アジア共同体評議会