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2021-02-05 00:00
荒木論考を受けて、防衛駐在官について考える
中山 太郎
団体非常勤職員
いつも簡潔な鋭い指摘で勉強になる荒木和博氏の1月30日付の本「百家争鳴」欄での論述、
「自衛隊の防衛駐在官について」
も考えさせられた。荒木氏の論点から2点取り上げる。1つは「この制度は外務省にとっては戦後獲得した聖域であり大事な省益です。この不適当な伝言ゲームの仕組みによって将来安全保障に関わる大きな過誤が起きないと言えるのか」、2つは「日本が国際社会に復帰してから時代は変わり、国内外情勢も当時とは大きく異なってきています。それに伴い、様々なルールや考え方が改められリセットされています。ですから、防衛駐在官の問題を例に上げましたが、このようなこと端緒に戦後の経緯から生じたこのような状態を今こそ変えていくべきではないでしょうか」、であろう。
1点目について取材すると、ある外務省員は、外交一元化の原則のもとにどの国も同じような仕組みの下でやっているのだ、今どき外務省が都合の悪い情報を削ってしまうなど考えられない話で、防衛問題の大事さは皆心得ている、などの旨の模範解答をした。ある米外交官は、空母の艦長は、5千人以上の乗組員を指揮する、これは、全世界に展開している米の外交官より多い人数だ、それだけ安全保障問題は国家にとり大事なのだ、金も人材も付けているのだ、と述べる。2点目については、付き合いのある外国人に言われるのは、どこの国でも軍人は聖域の中におり、最大限の敬意を払われている、日本は自衛隊というだけで毛嫌いし、学校でも子供がいじめにあったりする、よく日本の軍人は耐えている、と論評するものさえいる。最近ミャンマーでクーデターが起こったが、日本ではありえないと皆考えているが、少しおかしいのではないか、と述べるものもいる。戦前の軍人は、「統帥権」のもとに国家内に別格の地位を得て、少し暴れすぎたきらいもあった。今の日本は、これに凝りて羹に懲りてあえ物を吹く状態にいるのだ。
取材すると次のようなこともあった。1990年代の終わりごろ、中国広東省の軍港に密入境したとして、日米の大使館の武官が捕まったが、米の方は、すみませんと謝り、本国へ送還した。ところが日本は、同人は英国へ転勤になった。米も中国の軍筋もアレーと驚いた。通常ならこうした時には素直にその人間を引っ込めるのが普通のやり方なのだ。日本側には次の理由があった。同人は、どうも本国の指示を受け活動したので、本人がかってに動いての失点ではなかったこと、しかし日本の規則はあまりにもギチギチしていて、本国へ送還してしまうと、赴任したばかりで大金を支払っている、それを少しは戻してあげないと可哀そうだとの理由であったそうだ。米や中国など軍を大事にするところは、こうした場合の予備費を計上しているが、日本ではとんでもないということなのだ。今の状態を変えていくべきではあるがこれは単純な一筆書きに済む話ではなく、これからもたゆまぬ努力が必要なのだ。
鞍馬天狗の小説で有名な大仏次郎の随筆を読んでいたら、1960年代に渡仏した際、その頃パリでは、アルジェリアで仏軍が反乱を起こし、パリに落下傘で降りてくると真剣に信じていた。その夜、あるコンサートに出かけた。音楽会の後その現代音楽につき討論会が行われ、夜遅くなった。日本でならまあこの辺でというように折り合をつけるが、それをすることもなく、自分の信念で言うだけ言わないと気がすまないのだ。フランスの軍の反乱が大きくならなかったのは、こうして培われた健康な生活態度があったのではないのか。一部の軍人たちが強硬な態度に出ても人々が妥協しなかったのだと述べている。参考になる意見だ。
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