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2007-07-11 00:00
連載投稿(1)東アジア共同体への道―アジア主義の復権を見る―
進藤榮一
筑波大学大学院名誉教授
ひとつのアジアが、いま生まれている。ソウルから威海(ウェイハイ)、北京をまわりながら、その現実に随所で気づかざるをえなかった。「アジアはひとつ」と岡倉天心が謳ってから100年後、なぜいま天心の理想が現実となり始めているのか。疑いもなくそれは、情報革命のためだ。諸国民間の距離が短縮し、東アジアの主要都市間が定期便で、時に日帰りさえできる。交通通信運搬手段の発達が、距離のつくる地理を終焉させている。モノとカネ、ヒトと情報と技術が、国境を超えて移動する。その移動が、東アジアに市民社会をつくり、経済的ばかりでなく政治的格差も縮小させ、欧米近代を頂点とする歴史を終焉させている。
地理と歴史の2重の終焉が、一国内生産を過去のものにさせ、1台のクルマが、国境を跨いで数カ国で部品生産され製造されるネットワーク分業の時代へと変貌している。その変貌が、アセアン10カ国と日中韓の「アセアン+3」からなる東アジア共同体を醸成している。対岸に韓国を臨む山東半島の先端、威海から青島までバスで3時間半、街道沿いに電子電気、自動車など先端産業工場群が、終わることなく続く。中国3大経済技術特区の活況振りだ。
二重の終焉はしかも東アジアに、共通文化を育んでいる。市民たちが、同じようなファッションを追い、同じ生活スタイルを享受して価値観を共有し始める。青木保(現文化庁長官)のいうアジア都市中間層文化の台頭である。その台頭が「チャングムの誓い」や、先頃行われて数万人の若者を熱狂させた浜崎あゆみ北京コンサートに象徴され、歴史のひだに潜む文化の古層を共振させる。隋・新羅・奈良の時代以来仏教徒らによって担われた交流の波が、東アジアの古層を形成し、それがポスト近代のアジア世界で蘇り始めている。
3日間にわたる国際比較文化会議が開かれた威海の地こそが、その古層を表象した。威海は、9世紀末「最後の遣唐使」円仁が、9年の研鑽を積んで900余冊の仏典を手に、帰国船を待って9カ月の最後の修学をした地だ。そして1000年後の1895年、この威海沖を舞台に甲午(日清)戦争で日本が、清国海軍を破り、李氏朝鮮を支配下におさめて遼東半島を奪取しながら、三国干渉でそれを失った。その後遼東半島はロシアが、威海はイギリスが清国から租借占領した。まさに1000年有余の日中韓3国の歴史がこの地に凝集し、そのひだに潜む共通文化が蘇り始めている。21世紀情報革命によってヒトとモノの交流の歴史が、戦争の歴史を凌駕し、域内相互依存の深化が、アジア主義への動きを胎動させているのである。(つづく)
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