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2020-12-10 00:00
(連載2)イスラム教とフランス社会の融和のために
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
この主張の是非は別として、イスラム教徒がフランス人に対して特別な悪感情を持っているということを端的に示している。そしてそれが「歴史的」問題であり、なおかつ「何年も解決されないものとして現在も残っている」のである。もちろん「人を殺す権利」などということは存在しないと思う。しかし、「神々の価値観をわからない罪悪の表現として最も強いものを使った」ということに他ならないのではないか。
この投稿には批判的な反論が殺到したが、よくよく考えてみると「神を冒涜した」ことに関して「フランス人はよく考えるべきである」という主張までは正しい。多様性の価値観のなかで、相手を揶揄することが、どのような屈辱であるのか。それは「植民地時代にしてきた」ことを想起させるということかもしれないが、一方で、現在独立国になったイスラム教諸国に対して、いつまでも宗主国然とした態度で接していてはイスラム教徒たちの機微を捉えられないのではないか。
一方で、マクロン大統領も、大きく間違えたことは言っていない。「イスラム過激派」が現在の世界において正しいとは思えないし、イスラム原理主義を異教徒や異民族に押し付けるということ、そしてうまくゆかない場合に殺してしまうというのは価値観として普遍性に欠けるし正当性を見いだせない。それはマハティール首相が主張している根本的な部分と同じことである。断続的に起こるこの手の個々の事件においては「イスラム過激派」と「普通のイスラム教徒」を同一視してよいのか、そしてそのことが風刺にイスラム教を使ってよいのかということを考えれば解決の道はあるはずだ。
そのことを踏まえて「フランスとしての国家のスタンス」をフランスのオピニオンリーダーたちが論理的に国民に解くことができなければ、やはりマハティールのような主張が出てきてしまいフランス社会の融和は達成できまい。世界には様々な考え方がある。戦わなければならないときはあるにしても、社会倫理においては「いかに考え方の違う人間を許容するか」ということに尽きるのではないかと考えられるのである。(おわり)
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