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2020-11-16 00:00
小泉・竹中氏について
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
文芸春秋12月号の藤原正彦氏の論述「亡国の改革至上主義」は、「新自由主義に基づく、国家観なき「構造改革」は日本をさらに分断させる」「人間社会には「効率」より大切なものがある」として、小泉竹中両氏の構造改革のやり方を鋭く批判した内容だ。彼は「小泉氏の罪の一つは、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物竹中氏任用したことだ」とも述べている。筆者は、小泉氏が曲がりなりにも5年間も総理を続けられたのは、飯島勲氏と言う天才的な名秘書がぴたりと寄り添いその襤褸を出さないように上手くマネージしてきたからとも思う。小泉氏は、トランプ氏のミニ版、ポピュリスト、民主国家に生まれがちである一時の熱に浮かされ動く無責任な無思慮な国民の責任でもある。国内では、飯島秘書が上手くカバーしていても、海外ではそこまで手が回らず、襤褸を出してしましがちだ。歴代米大統領は、退任後に回顧録を出すが、ブッシュ(ジュニア)大統領は文章があまり得意でなく、代わりに奥さんが、本を出している。その本で、同盟国小泉氏の写真を出しているが、エルビス・プレスリーの真似をしているえげつないものだ。
2002年、中国の海南島ボアオで第1回のボアオ・アジア・フォーラムが開催され、総理になりたての小泉氏も参加した。この会議は中国は、何でもよく真似するが、スイスのダボスで開かれる国際会議の中国バージョンである。例により、当時のトップの江沢民が、業者から多額の金をもらい、業者とつるんで、海南島を中国のハワイとして売り出そうとの片棒を担いだものだ。会議の主催は北京から朱鎔基総理が乗り込んできた。同総理は、大の親日家であり、顧問に当時はまだ役人が任じられていた経済企画省庁長官を務めた宮崎勇氏を擁してもいた。会議で朱鎔基は、勿論小泉氏を盛んに持ち上げた。主人役として宴会のために、北京から料理の材料や料理人も多数連れてきていた。会議は数日間であるので、小泉さんの日程に空きが出来た。接待のかかりは小泉さんの了承を得て、町のレストランでの食事をアレンジした。と言っても田舎町総理の接待など初めてである。支配人は、張り切り、日本からリンゴを仕入れております。それをデザートで出すことにしましょうなどと述べ、それに対し日本側は、わざわざ日本から来られているのに日本のものでもないでしょう。海南島らしい南国の果物を出してください、などとてんやわんやしたのち、無事昼の席がセットされた。
そこへ乗り込んだ小泉さんは、並んだ誠心誠意作ったテーブルを眺め、一言、「俺はラーメンでよかったのに」と述べた。小泉氏はここで二つの間違いをしたわけだ。一つは、地方に人たちがそれなりに一生懸命作ったごちそうに敬意を払うことがなかったこと、二つは、ラーメンを中国人は皆日本の料理だと考えていることだ。口さがない外交スズメは、かってクリントン米大統領が江沢民夫人がホワイトハウスの晩さん会で、横で何も食べないので、「奥様どうかなされましたか?」と尋ねたところ、夫人は「こちらに来る前に、食事をしてまいりました」と答えた。当時、中国人は、米国の食事は口に合わない旨くないとよく述べていた、を冗談のタネにするが、それとの類似で、「俺はラーメンでよかったのに」と言われていることだろう。
竹中氏の慶応大学での教え子が述べていたが、「住民税は、日本に1月1日以降居ると取られる、自分はそこは上手くいつも取られないように日程を決めている、NHK聴取料金は払わんくとも、大丈夫だと述べ(現在は、厳しくなっている)」とよく述べその志の低さに唖然とした。
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