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2020-10-23 00:00
歴史問題を考える
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
今、米は大統領選真っただ中で、歴史問題においても、価値観の衝突が起きている。南北戦争の時の南軍のリー将軍の像の打ちこわしなどだ。しかし、西欧ではこの問題はより先鋭化してもいるようだ。18世紀のフランスの啓蒙哲学者のボルテール(Voltaire)の著書は日本でもよく読まれているが、フランスアカデミーは、同ボルテールの胸像を撤去したとのことだ。理由は、ボルテールが奴隷売買で金もうけをしていたからと言うのだ。
日本は、近代史の中でたたかれる場面が多い。海外でこうした時、一つの反撃手段は、今の感覚で当時のことを判断するのはどうか?という言い方で、私もこれをよく使った。しかし、フランスの例だと、今の文明世界の空気は、悪いものは悪いというもので、反論の余地はない。
知り合いの英国人が良く小生に言うのは、日本人は歴史問題への対応が下手だ。南京事件、慰安婦問題など、細かい事実関係を究明して、あれこれ言う。慰安婦像が海外で建てられると日本国内で悲憤慷慨して怪しからんと喚きたてるのみだ。例えば、日本は、その慰安婦像の近くに、世界の売春を強いられるか弱い女性たちを支援する意味での乙女の像を立て、同時に日本が得意とする各支援を行う。日本は、国際的に緒方貞子氏やユネスコ事務局長として長い間、米と西欧との間を取り持ちその融和に努めた松浦氏などがいるが、まだまだ第3の経済大国としては少ない。緒方氏はともかく松浦氏につての日本国内での評価は少ない。
歴史認識問題のおいては、両者それぞれ言い分があり、永遠に和解などできないと覚悟すべきだ。ただ「違いを認識する」(Agree to Disagree)あるのみだ。
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