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2020-10-12 00:00
日本学術会議問題、政府は支援すれども干渉するな
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
ヨーロッパで中世社会が危機を迎えたのは、宗教の優先性が究極のレベルにまで達して停滞したからであり、「宗教改革」の使命はその自縄自縛を解き放つことであった。結果、強大なローマ教会の破壊と宗派の乱立を経て、ルネッサンスの「人間解放」という世俗社会に通路が開いて、中世社会を支配していたローマ教会は後景に追いやられてしまうこととなった。ルターの功績は「宗教改革」というよりもむしろ、ローマ教会の破壊であり、宗教世界の終焉を結果して、そこから「近代」を呼び込むこととなったのであった。しかし、そこで生起した近代資本主義的精神は、もはや完膚なきまでに喪失し、経済社会は新自由主義と呼ばれるルールなき弱肉強食の『ショックドクトリン』(2007年、ナオミ・クライン)へと変質し、行き場を失っている。近代社会の夢と希望だった人種のルツボ、米国社会の深刻な停滞と、これに対抗している中ロは論外として、せめてもの救いとなるかと思われたヨーロッパも大きな壁に立ち往生してこちらもまた二進も三進もいかない。
そういう中にあって、日本の政治・経済はCOVID-19以前からすでに二進も三進もいかないレベルにまで達している。政治家諸氏、特に政権与党の人たちにはその事実さえ全く見えていないようである。その証拠に、アベノミクスによる株高にもかかわらず、この国の実態経済を測る各指標は落ち込み、混迷はもはや何処から手を付ければよいか全く見えない。かくなる上は、ありとある知性を動員してこの行き止まりの分厚い壁を破壊しなくてはならない。その破壊者としての役割を負っている者たちこそ、学者・研究者である。彼らには有りとある可能性を見つけ出し提案する能力があり、その機会があるべきである。そこではあらゆる思想信条の自由が保証されていなくてはならない。それこそ失敗の自由すらも最大限に保証されている必要があるのである。
にも拘らず、「1日付で菅義偉首相に任命された日本学術会議の新しい会員について、同会議が推薦した候補者6人が含まれていないことが、会議関係者への取材で分かった。会員の任命は首相が行うが、同会議が推薦した候補者が任命されなかったのは初めて。任命されなかった学者からは『学問の自由への乱暴な介入だ』と批判が出ている。(中略)日本学術会議法によると、会員は会議が候補者を選考して首相に推薦し、推薦に基づいて首相が任命する。事務局によると、推薦した候補者が任命されなかった例は過去にないという」(2022年10月1日、朝日新聞)(後刻これは間違いで安倍氏によって2016年にも類似例が有った。筆者註)。
記事中の6人は、安倍政権の政策に合致しない思潮の持ち主たちであったらしいという。いま、大きな歴史の曲がり角、近代史の終焉にあってせいぜい5年10年の一政権の存続が壮大な歴史の中にあって如何ほどの存在だと自己認識しているのであるか?思想信条の自由度を目いっぱい拡げた環境の中で、自由に論を戦わせる場として、実はこちらも停滞している日本の学術世界において「ルター」たりえる者たちを叱咤激励することこそが政府と政治のやるべき役割であった。政権には、己の顔を鏡に向かってよく見た上で、揮うべき権力を正しく使ってもらいたい。世俗政治は、アカデミズム世界に泥足で踏み込んではならない。政府のやるべきことは、アカデミズム世界の支援することであって、決して従えようとすることではない。むしろ、これに泥手・泥足で踏み込むのではなく、耳が痛い提言を引き出すことに努めるべきだ。
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