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2020-08-26 00:00
専制国家の指導者について考える
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
荒木和博氏の文章は、歯切れよく整理されていて中味は極めて重要な内容を含むので、掲載されたら飛びついて熟読している。8月22日の姉妹e-論壇「議論百出」に掲載された「金正恩氏に権限の委譲など出来ない」も素晴らしいものだ。「権威と権力が一致し、統治者が圧倒的な力を持つことで初めて体制が維持」「それが出来なくなった場合、内部はおそらく周辺大国との関係を軸とした派閥対立へ」は、中国問題を見る上でも参考になる。
中国指導者の場合、言語の問題もあるのではないか。蒋介石、毛沢東とも言葉のなまりが強く他の地域の人間には聞き取りが難しかった。彼らの重要講話は演説原稿が事前に配布されて、それを見ながら人々は拝聴した。鄧小平の標準語は毛沢東より格段にうまかったが、それでも時折、四川なまりがひどく、政治の微妙なあやを理解するために外交官もジャーナリストたちも苦労させられた。その後、中国の指導者たちの標準語能力はどんどん良くなり、そして、今の習近平は子供時代を北京で過ごしたため完璧で、大陸の人々は苦労なくそのスピーチを聞けるのだ。中国大陸のみならず、香港、台湾における標準語能力も発展し、使用する語句の違いは一部あるにせよ、そこの住民もしっかりと聞けるようになった。しかし、皮肉なことにこうしてコミュニケーションが良くなったことで、かえって専制国家大陸と自由と民主の空気を吸っている人々との違いが鮮明になり、摩擦が増えてきた。
今、日本では、習近平は冷酷非道な専制国家のボスとのイメージが強い。彼は今の位置に上る前に、日本の長崎県の友好県の福建省に10数年いた。長崎を通じ、日本へは少なからぬ好意を持っていたことがいろいろな取材から見えてくる。副主席時代に、小沢一郎さんがごり押しして平成天皇へ拝謁した。部屋の前のカメラマンのいない場所で、最敬礼している写真(映っているのは影だが)が残っている。夫人は解放軍の歌手だが、日本の芹洋子氏の大フアンで、その「四季の歌」などを自分の得意の歌にしていた。日本のある場面でお二人が大喜びで抱き合っておられた場面を思い出す。勿論、個人の気持ちと政治の世界は切り離して考えなければならないだろう。
体制の違いでは、次のエピソードが思い起こされる。私の友人に、外務省で邦人保護などの仕事をする領事をやっている人が話してくれたが、主な西側の人間は皆、中国嫌いだ。国際社会では、一応領事の仕事に敬意を払ってくれるが、中国の場合むらが多く、ある時、北京で邦人の自殺者が出て、引き取りに行った。普通領事にご遺骸の持ち運びなどさせないが、この日は担当者が傲慢で、お前が運べと言う。ご遺骸を引きずり損傷などさせられないので、つれて行った運転手に料金をはずむからと頼み込み。二人で運んだ。一方、米での経験で、サンフランシスコで不幸にして強盗にあい銃で殺された事件があり、市電でその場所にご遺族の方に付き添い行った。市電の運転手に事情を話し、花を置くので少し待ってくれと頼むと、彼は「わかったこれは最終電車だ。幾らでも待つから、ゆっくりと弔いなさい」と述べ、車内の人々へその話を伝えた。人々は口々に賛意を表してくれた。規則から言うと、運転手の行為は少し違反かもしれないが、米国社会の暖かさをしみじみと感じたと述べていた。
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