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2007-06-21 00:00
内なる国際化:昔を懐かしむことから一歩踏み出そう
木下俊彦
早稲田大学大学院教授
このコラムへの投稿は今回が初めてなので、「争鳴」の題名には値しないささやかな提案をしたいと思う。
観光地などで多数の人が集合写真を撮っているところに出くわすと、世界中で、学校時代の仲間との同窓会、企業の同期入社社員やそのOB、OGなどの同期会が人口比で日本より多い国はないのでないか、という疑問がわく。儒教の影響の強い韓国はどうだろうか。誰かご存知の方は教えてほしい。また類似のものとして、某日本大使の滞在期間の数年間、海外のどこかの地で一緒に暮らした人々や家族が帰国後、多数で、あるいは、小さいグループになって、ときどき集っては、食事をしたり、ゴルフをしたり、歌を歌ったりして昔を懐かしむ「旧駐在員」の会も非常に多い。これも、日本に勝る国はほとんどあるまい。そうした会は、非日常的な友情を育み、持続する場でもあり、それを大事にする人が多い。日本は、家でパーティを頻繁に開いて、同業者、町の人、友人、家族、外国人など多数と団欒するという習慣がない国だから、「昔仲間」との会がその代替物となっているという面もある。実際のところ、昔仲間に久しぶりに会い、往時のニュースを想起し、また、互いの消息を知り合う楽しみは格別である。
そうした活動は大変結構だと思う。ただ、昔を懐かしむだけでなく、例えば、駐在した国で苦労している人たちをちょっと支援するとか、その国から来ている留学生を呼んであげるという活動につながればいいな、と思う今日この頃である。もちろん、内外でボランティア的活動を活発に行っている日本人も決して少なくない。退職後、昔居住した国に出かけ、日本語の教員などをして楽しく余生を送っている人も少なくない。しかし、「仲間」が「昔を懐かしむ」会の9割以上は、多分、昔はよかったね、で終わっているのではあるまいか。
陰徳という古臭い言葉を出すまでもないし、シリアスに考える事柄ではない。考えるより前に、行動を起こした方がいい。われわれは忘れているかもしれないが、かつて、日本が貧しかった頃、少なからざる日本人が海外旅行をした時や海外駐在した時に、困った目にあい、現地の人からちょっとした好意を受けて助けられた経験を沢山しているはずだ。(そういう話を先輩達から昔よく聞いたし、私自身も返しきれないほどの好意を受けた)。今の日本なら、多少世界にお返しができるのでないか。そのために国がODAを出しているのだ、というような型切り文句はいわないことだ。
21世紀には、地球温暖化問題、テロ対策、国際通商摩擦など、世界中の人が深刻に解を求めなければならない問題も多い。しかし、それとは別次元のもっと簡単なことで、世界をちょっとだけ明るくする努力をするというのはどうだろうか。最近の若者は思いやりがない、教育はどうなっているんだ、ということではない。若者は、年長者の行動を見て自然に自分たちなりのやり方を見つけていくものだ。同窓会などで仲間が集まるときに、昔のことだけでなく、その後のことにもちょっと気配りしようというささやかな提案である。「内なる国際化」という言葉があるが、意外に進んでいないような気もする。気軽に付き合える仲間を世界中に多数持つ、これを自然体でできる国となりたい。それには、それぞれが、自分とゆかりのあった国との人間関係を絶やさないようにすることが一番効果的ではないか。
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