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2020-06-05 00:00
横田滋さんのご功績を思う
荒木 和博
特定失踪者問題調査会代表
横田滋さんが亡くなられました。ともに北朝鮮の拉致問題に取り組んできたものとして、申し訳ない、としか言いようがありません。様々なことが報道されるでしょうから、報道されないであろう私からはこれだけは知っておいていただきたいことを書いておきます。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)の結成以来、飯塚さんにバトンタッチをするまで横田滋さんは家族会の代表を務められ、妻の早紀江さんとともに全国で拉致問題を訴えてこられたことはもちろん大変な功績です。それ以上に、私が最も強調したいことは平成9年(1997)の横田滋さんの決断です。
平成9年2月3日、衆議院予算委員会での西村真悟議員の質問、同日付の産経新聞と「AERA」の報道で「横田めぐみ」という名前が公になりました。「AERA」は一部地域は前々日に発売になっていましたし、「現代コリア」ではそれ以前から写真と名前は出ていたのですが、2月3日が事実上明らかになった日と言っていいと思います。この横田めぐみさんの実名・写真入り報道があったからこそ拉致問題は一気に社会的な関心を呼ぶことになったのですが、当初早紀江さんと弟の拓也さん・哲也さんは公開に反対していました。せっかく居場所が分かったのに、名前を出せば殺されるかもしれない。普通に考えればそう心配して当然です。私が滋さんの立場だったらやはりそう思うでしょう。
「Yさん」で報道されてもそのときで終わってしまうと言って反対を押し切ったのは滋さんでした。その決断があったからこそ、家族会結成や全国での救出運動があり、そして政府も無視はできなくなったのです。あの渦中にいた者として断言できますが、滋さんがご家族の言葉に納得し、実名公開を控えていれば、例え報道されたとしてもそのインパクトは小さく、家族会の結成や全国的な救出運動にはつながらないか、つながっても影響力は今よりはるかに小さなものだったでしょう。金正日が拉致を認めることもなかったでしょうし、5人も帰ってこなかったはずです。
おそらく苦渋の決断だったでしょうが、それがあったから今日があるということはぜひご理解いただきたいと思います。私自身、結局23年間ご一緒してきて結果を出せなかったことは昔なら切腹ものですが、拉致問題で政権を担った安倍総理にも今こそ決断をしていただきたいと思います。少なくとも「痛恨の極み」「断腸の思い」で終わらせることだけはしないでいただきたいと、切に願う次第です。
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