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2020-04-09 00:00
(連載1)現金給付問題にみる危機の本質
倉西 雅子
政治学者
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、観光業やサービス業といった対面を要する業種を中心に経済的なダメージが広がっています。国民の生活困窮を危惧した日本国政府も、所得が著しく減少した世帯に対して現金30万円を支給する方針を固めたようです。
30万円の現金給付に対する一般的な批判は、海外諸国と比較した場合の支給額や対象世帯の少なさに集中しているようです。さらに、自己申告制という方法では、減収を証明する提出書類のチェックなどにも相当の時間を要しますし、逆に給付を急ごうとすれば不正受給を見逃すかもしれません。こうした諸問題点を考慮すれば、国民一律給付にした方が簡易かつ、公平ですので、国民の間から不満の声が上がるのも頷けます。
とは申しますものの、一律給付という諸外国の手法が常に正しいとは限りません。一律給付方式は個々の間で損害幅に開きがありますので必ずしも公平とは言えませんし、○○%の給与所得を補償するという手法も所得レベルの違いを考慮すれば不公平となる可能性もあります。何れの政策であれ一長一短はあるものですので、諸外国をモデルにする必要はないのですが、30万円現金支給策には、もう一つ考えてみなければならない問題があるように思えます。それは、新型コロナウイルスの危機の本質に関わる問題です。
日本国政府も含め、経済対策を打ち出した各国政府は、何れも新型コロナウイルス禍は短期間で収束するものと想定しています。あくまでも‘緊急’であり、うまくいけば数か月以内で収まると見なしているのです。30万円という額も、標準世帯がギリギリに家計を切り詰めて一か二か月は生活できる額なのかもしれません。しかしながら、今後については、別の可能性も考えておく必要があります。(つづく)
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