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2020-03-27 00:00
(連載2)デマゴーグを排し日中の真相に目を凝らせ
加藤 隆則
汕頭大学長江新聞與伝播学院教授
一方、日本では感染例が増加しているにもかかわらず、つい最近まで通勤時間の地下鉄はすし詰め状態で、マスクをしていない乗客も目立った。横浜に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の感染問題では議論が沸騰したが、当時官民を含め自分たちの日常生活に対する危機感は極めて薄かった。中国の危機感と徹底した管理はさかんに報道されていたはずだが、他人事だと高をくくっていた。今になってトイレットペーパーなどの買い占めに走る姿は滑稽でさえある。
福岡市の地下鉄では走行中、乗客がマスクをせずにせきをしている他の乗客をみて非常通報ボタンを押す騒ぎが起きた。やや過剰な反応ではあるが、緊張感のなさに対するいら立ちが爆発した一つの事例にほかならない。突飛なニュースとして片づけるわけにはいかないのである。危機感の薄さ、緊張感のなさに加え、日本では個人の人権やプライバシーの尊重、個人情報の保護が優先されるので、中国のような集権的、強権的な対策は取りづらい。憲法によって個人の広範な自由が認められている日本の社会では、一方で、自己責任の原則により、自主性に頼った施策に頼らざるを得ない。とはいえ、プライバシー保護を理由に不十分な情報しか開示されない中、自分たちを守る手立てさえないのが実情だ。両者をバランスよく取り入れるのが理想なのだろうが、どちらのスタンスを取るかは、社会的合意の比重をどこに置くかによる。一方の価値観を持ち出してもう一方を批判しても意味はない。
中国では、言論の自由や個人の人権を犠牲にしても、生活の保障、健康や生命の安全を第一に考える人たちの方が多数派である。肝心なのはその違いを認識し、相手の立場に立ってものを考える視点である。中国でなにか問題が起きるたび、すぐに共産党政権の動揺、崩壊や一党独裁の危機と結び付けた発想をするのが日本メディア、そして日本世論にしばしばみられるステレオタイプだが、あまりにも短絡的である。そうあってほしいという願望や、そうでなければならないという先入観が生んだ偏見でしかない。中国の新型肺炎による死亡例は約3,045人(3月6日現在)で、一方、米国のインフルエンザによる死者は今年すでに1万2,000人に達しているが、これをもってトランプ政権の危機を論じるのを見聞きしたことはない。同じことは日本にも言えるだろう。中国で情報隠しがあると一党独裁の弊害と断罪するが、情報隠しはどの国の政治権力でも起きている。権力そのものが持っている体質である。
今回の事例で明らかになったように、こうした偏見や先入見が、隣国の教訓から学ぶ目を曇らせているとしたら、世界の潮流からも取り残されることは肝に銘じておいたほうがいい。バイアスを排し、目を凝らせば、まったく違った真相が見えてくる。今回の対応を通じて政治的な側面を観察すれば、習近平政権の盤石さが見て取れる。むしろ基盤が再強化された側面さえ指摘できる。真相は政権の動揺や危機とは裏腹である。(おわり)
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