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2007-06-06 00:00
「自主独立」と対外政策構想
櫻田淳
東洋学園大学准教授
1950年代中期から1960年代後期にかけて、「フランスの栄光」を追求したシャルル・ド・ゴールは、「ウラルから大西洋」までという構想を抱いていた。英国のEEC(欧州経済共同体)加盟の拒絶、NATO(北大西洋条約機構)軍事部門からの脱退、独自の核武装といった施策は、フランス一国の「自主独立」だけではなく、ヨーロッパ世界全体の「自主独立」を念頭に置くものであったといえるであろう。米ソ両超大国の狭間での「受動的な立場」に甘んじない姿勢に実を与えようとすれば、重層的な対外政策の展開は、必要な条件であった。長年の仇敵であったドイツとの提携、共産主義・中国の承認という選択は、そうした「自主独立」の論理から導き出せるものであったのである。
翻って、現下の日本で展開されている議論は、憲法典改訂を含めて「普通の国」への志向を打ち出したものであるけれども、その「普通の国」への志向が、どのような対外政策構想の文脈に位置付けられるのかは、決して定かではない。麻生太郎外務大臣が打ち出した「自由と繁栄の弧」構想は、確かに出色のものであり、それが高い評価を得ているにしても、それを「普通の国」への歩みの意味を説明する唯一無二の「青写真」と位置付けるわけにはいかない。「自由と繁栄の弧」構想の他にも、多様な対外政策構想が提起される必要があるのである。
とすれば、こうした多彩な対外政策構想を考える立場にある人々の責任は、誠に重いものになるであろう。その多彩な対外政策構想の中では、たとえば「東アジア共同体」構想は、どのように位置付けられるのか。また、それは、「自由と繁栄の弧」構想とは、どのように整合するのか。こうした議論が伴わなければ、「普通の国」への動きは、日本の対外影響力を弱めるものになるであろう。物事の「一つの方向」だけに眼を向ける愚を犯してはならないということである。
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