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2019-12-23 00:00
1年を回顧して、日本外交に思うこと
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
激動の2019年も間もなく終わる。日本外交への宿題も色々出てきたが、一つは日韓問題だ。日本が得た教訓は、開発独裁体制から上手く浮上して民主化された韓国は、以前日本と結んだ国際約束は専制体制下に一般の韓国国民の声を取りあげず決めたことだからチャラにして一からやり直せ、との声あげたことだ。これは今の中国が、万一将来、経済の逆風などから今の専制体制が崩れ民主化された場合に、同じように以前専制体制下で日本に約束した対日賠償放棄は間違いだ、やはり寄越せ、となる可能性もあろう。また今の台湾が、万一将来今の米の台湾擁護戦略が上手く進展して、中国の諸束縛を振り切り、国際場裏でフリーハンドを持つ国家として登場した場合、今まで静かにしていた領土、漁業問題などを声高に叫びたて、日本へ提起してくることも覚悟しなければならないのだ。
筆者は、幼児期、静岡市に合併された軍港清水に居住していた。その頃、戦線に送られる兵士たちがよく我が家に遊びに来てくれた。当時貴重品だった饅頭をお土産にしてだ。故郷の弟などを思い出すのか、幼い私を見て涙する兵士もおられた。彼らは自分たちの運命をよく知っておられ、また靖国で会おうなどと仲間で会話しておられた。多くの年配の方々もそうだろうが、靖国は、我々にとり特別な存在なのだ。東京では、近くに居住した時には毎週訪れて参拝した。許せないのは、総裁選の相手候補が靖国の遺族会会長であることから、靖国を政争の道具として扱い、毎年公式参拝するなどと述べ、外交にもこれを使ったことだ。
当時中国は国内への説明に二分論を使い、横暴な軍人と無辜な一般日本国民とを分け、後者については中国は認めようとしていた。同氏は、所属する福田派の田中派への恨みつらみからか、田中派利権を叩き潰してやるということで、対中喧嘩外交を始めた。当時の胡錦濤政権は、社会のグレイドアップのためには日本の力がやはり必要だとして懸命な部分もあった。外野では、馬立誠はじめ論客が新思考論などで対日問題を考え直そうとしていた。「政冷経熱」などと言われ、経済のみが良好だなどと言われたが、現場にいた人間からすると、中国経済の根幹部門に食い込み、より大きく長期に利益を得られそうなところはドイツなどに持っていかれた。同氏は、総理をやめた後、靖国など忘れたかのようにふるまっておられる。
同氏は、対米関係を重視し、ブッシュ(ジュニア)大統領とうまく連携したといわれている。同大統領は引退後、夫人の書いた回顧録に、同氏と一緒に訪問したエルビス・プレスリーの故郷での同氏のプレスリーを真似た写真を掲げている。真に尊敬しているならこうした写真を載せるのかと頭をひねった。これで思い出すのは、80年代に上海に滞在中、来訪した元英保守党総理のヒース氏のことだ。ある宴席でご一緒した。日本人と見て、日本は今経済は絶好調だが、経済は上り沈みがあるから気を付けなくてはならない、など諭してくれたりした。同総理は、宴席の終わりに、近くのピアノに向かい弾き出した。同じテーブルにいた上海の女性がしくしくと泣き出した。その友人から聞いたところでは、彼女の父親は上海音楽学院の主任教授で、文革の最中、西欧の手先として殺されたそうだ。父親が良く弾いておられた曲が流れたからだった。ヒース総理は若いころ政治を取るか音楽をとるか悩まれたそうで、前者の道へと進んだが、その後も政局で悩む時にはピアノを弾いて心を静めたそうだ。同じ文化に対面して、厚みに参った。英は、今重大局面にある。しかし、そのしぶとく衰退の内にも秘めた力を持つその実力は無視できないだろう。筆者が述べたい結論は、日本よもっと成熟した大人となり、国際場裏で想像力を働かせ、しぶとく生き抜いて行けということだ。
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