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2019-12-09 00:00
中曽根対中外交についての回想
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
中曽根元首相のご逝去後、その外交についてもメディアが触れているので、筆者が一部現場近くにいた経験を持つ対中外交について回想してみる。80年代は、日中外交の黄金時代とも言われる。中曽根首相は、84、86年と2回訪中した。最後の訪問は86年11月、北京における日中青年交流センター定礎式出席などが目的だった。胡耀邦総書記、鄧小平軍事委員会主席、趙紫陽総理に面会した。30年ルールで日本の外交文書は公開されているが、それによるとこの訪問は、中国側、主には胡耀邦の強い要請でのようだった。当時、権力闘争が激化していて、胡としては中曽根首相に援軍を頼んだ節が見られる。胡は、後にその親日ぶり、例えば3千人の日本青年の受け入れに国費を使いすぎたなどとして責められ、叩かれることとなった。
中国側からは対日貿易赤字の是正などのほか、合弁企業支援、資金援助、技術移転などの問題が提起された。カネ、技術をもっと寄越せということだ。注目されるのは、技術移転で、日米欧を比較し、日米は渋いが、欧州は柔軟だと述べている。日本は、当時の中国からは買うものがなく困っていた。日本側は、石炭をもっと買いますとか、石油も買いますなどと述べていた。中国石油は、中東のそれと異なり、質が悪く使うのにコストがかかりすぎるなどと、専門家が話していた。また中国は、トランプ米大統領の手本たる、レーガン元大統領の直近の「台湾擁護」発言などを批判していて、台湾は今、情報を封鎖しており中国の実情を知らない、しかし、中台統一に賛成する人々は着実に増えているなどと述べている。朝鮮半島問題については、北朝鮮の自主外交の意欲は極めて強い。中国は手が出せない。朝鮮半島から、外国の軍隊が引き揚げ、南北朝鮮が自ら解決するのが一番良いことだ。最も良いのは、両者の連邦だ。一方が他方を侵食するのは良くない、などと述べて居る。
今の香港問題との関連で興味深いのは、鄧小平が「中国の若者は、西側の言う『自由』をあがめているが、彼らは規律を知らなければならない。理想と規律は、それがなければ何もなしとげられない。西側の制度がどんなに素晴らしくとも、今の中国の文化水準が低く、そのままでは受け入れられないこともある。例えば普通選挙など、中国では条件が整っていない。30年後には実施可能かもしれない」と述べていることだ。中国は、「改革・開放」に向け、フル回転中で、そのキーワードは「政治体制改革」と「経済体制改革」だった。胡は、政治について、中曽根首相への内話で、翌年に予定されている第13回党大会において「若返り」を行う旨述べて、暗に、鄧小平はじめ元老たちの退場をほのめかしていた。経済開放へ向けての経済特区設置をめぐっても支持派と反対派が激しくせめぎあっていたようだ。
日中の信頼関係は固めたとして、中曽根首相は帰国した。その帰国直後の12月初め、中国のテクノロジーの名門校である安徽省の中国科学技術大学(東大の姉妹校。同校の副学長で著名な宇宙物理学者の方励之は、彼は当時、中国での民主化運動のリーダー的存在であったが、天安門事件後、北京の米大使館へ避難し、リリー大使はじめ館員が交代で隣の部屋に宿直して同氏を守り、数か月後、水面下での中国政府との交渉で、米移送した)で、地方選挙に党が介入するのに反対して、同校に学生デモが起こり、それが瞬く間に他の中国主要都市に波及した。12月末には、首都北京にも及び、翌年の1月に胡は責任を取らされ失脚した。凄まじい権力闘争の中、鄧小平はしたたかに生き残った。そして、6月の天安門事件になるのだ。
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