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2019-11-29 00:00
ニッポンの陽はまた昇るのか
岡本 裕明
海外事業経営者
私は長年経済ニュースなどには丹念に目を通していますが、日本企業が躍るようなそんなニュースが極めて少なく、どちらかというと不祥事や業績悪化などの記事が目立ちます。もちろん、日本の独壇場といわれる分野もありますが、比較的地味な分野が多く、主役ではありません。世界で日本の存在感が薄れてきているのです。北米で生活していると日本の製品を見ることはめっきり減ってきています。自動車は見ますが、それ以外に何があるのでしょうか。スマホの中の多くの部品が日本製だと知っていますが、私にはどこかの外国で作られた製品にしか見えません。先日、ある日本の役人と話していたところ、「海外の駐在員は日本の本社しか見ていない」「与えられた枠の中の仕事だけをやる」と役人が呆れるほど小さくまとまった仕事しかしないようなのです。基準が日本なんですね。
日経の看板コメンテーターの記事に「GoogleとIBMの量子競争 日本突き放す知のコラボ」というのがあります。その記事の一節に「量子コンピューター研究の歩みを振り返れば、目を引く日本発の成果があったが、ひょっとするとチャンスを逃したかもしれない。東工大の西森氏らが土台となる理論『量子アニーリング』を提唱したのは1998年。同じころNECは超電導による量子ビットを世界で初めて実現した。先頭を走る専門家同士がそばにいた。もしもそこに対話が生まれ、知識が交じり合えば、世界をリードできるような研究の進展がみられた可能性があるが、双方が連絡をとり合うことはなかった」とあります。企業や研究者がブラックボックス化した研究を行ってきたという意味でしょう。その間、世界ではオープンソースという発想が普及している中で日本では独り占めという発想がなかったとは言い切れません。
かつては一匹狼のちょっと変わった人がサプライズの成果を上げることがしばしばありました。最近、そのようなユニークな人は排除されるか、十分な研究などができる環境の場が提供されないかのどちらかなのだろうと思います。それだけ企業や大学が普通になり、コンプライアンスを重視しすぎるあまり、規格外の天才が発掘されないのかもしれません。
ニッポンの陽はまた昇るのか、と言われれば私には昇らないように見えてきました。真綿で首を絞めるという表現がずばり当てはまるのが今の日本です。もしも陽が再度上がるようにするには地殻変動が起きて日本が目覚めなければなりません。わずかな人だけでもそれに気がつき、面白いことに驀進してくれることを祈ります。
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