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2019-11-21 00:00
(連載1)RCEPの幻想-アメリカと中国は違う
倉西 雅子
政治学者
年内にも交渉の妥結が期待されていたRCEP。今般、閣僚会議が開かれたものの、インドが対中貿易赤字を懸念して難色を示したことから、先行きに不透明感が漂うようになりました。メディア等の反応は交渉妥結の遅れを嘆く論調が強いのですが、自由貿易主義、あるいは、グローバリズムに内在する問題点を考慮しますと、RCEPの頓挫は歓迎すべきなのかもしれません。
今日、多くの人々が自由貿易主義に全幅の信頼を寄せ、その推進こそが全世界を豊かにすると信じるようになったのは、第二次世界大戦後に成立した自由貿易体制の成功体験にあります。連合国諸国は、1941年8月に米英首脳が発表した大西洋憲章において、戦前の経済ブロック化への反省から既に戦後の自由貿易構想を示しており、戦争の終結を待たずしてアメリカで開催された連合国諸国による国際経済会議において具体案が合意され、ブレトンウッズ体制が成立しました。この時、貿易の多角化に伴う貿易決済を円滑にするための機関としてIMFの設立と共に、事実上、金との兌換性を有する米ドルを国際基軸通貨とする固定相場制度が採用されたのです。
ブレトンウッズ体制と呼ばれた同体制の下で、戦争で疲弊した世界経済は急速に回復し、戦後復興も順調に進むこととなります。敗戦国であった日本国も同体制の恩恵を受けたことは言うまでもなく、自由貿易主義の信奉者の多くは戦後モデルが理想像として刻み込まれているのでしょう。しかしながら、戦後の自由貿易体制の実像を見つめてみますと、リカード流の比較優位による国際分業が上手に働いたわけではなく、同モデルがアメリカの‘自己犠牲的’な政策によって支えられてきたことに気付かされます。
どのような点において‘自己犠牲的’なのかと申しますと、アメリカが、米ドル高の相場を維持することで自国の市場を他の諸国に開放した点です(もちろん、米ドルが兌換紙幣であったこともありますが…)。乃ち、日独をはじめ戦後復興を成し遂げた諸国は、アメリカ市場と云う巨大な自国製品の輸出市場が存在したからこそ自国の産業を育て、経済成長を実現したと言っても過言ではありません。(つづく)
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