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2019-11-02 00:00
(連載2)中国の「内政不干渉」の都合の良さ
倉西 雅子
政治学者
ある特定の相手方に害を与える行為をめぐって、‘私もそれをしませんので、あなたもそれをしないでください’という合意が成立いたしますと、以後、双方ともがその同一行為を控えるのですから、相互主義は、双方に同等の禁止効果を及ぼします。こうしたパターンでは、双方にとって公平な結果がもたらされますので、お互いに何らの不満も残りません。
しかしながら、相互承認の対象が考え方や価値観であり、かつ、その及ぶ範囲も曖昧な場合には、「相互主義」という言葉はレトリックに転じ、その結果は対等でも公平でもなくなります。例えば、それは、「わたしは、この他害行為を禁止すべきではないと考えているが、あなたは、逆に禁止すべきと考えている。意見は違うけれども、相互に相手の言い分を認め合おう」という表現の罠です。
このケースでは、確かに双方ともがお互いの意見や立場を認めるのですから平等なように見えますが、その結果を見ますと思わぬ落とし穴に気付かされます。何故ならば、この手の相互主義を認めますと、他害行為の禁止を主張する側は、それを容認する側による他害行為の実行によって自らが害を受けることを甘受せざるを得なくなるからです。つまり、結果は対等でも公平でもなく、本来相互に禁止されるべき他害行為が、それを容認する側にのみ許されることとなるのです。
トラップとしての相互主義が存在することを考慮しますと、「中国政府が解釈する不干渉」とは、‘相手国に対する干渉を認める中国の立場に対して他国は干渉してはならない’という意味かもしれません。しばしば中国は、‘国家間の体制の違いに拘わらず、相互に互恵的な関係を構築すべき’と訴えていますが、その実、他国に対して自らの覇権主義を受け入れるよう迫っているのかもしれないのです。自由主義国が全体主義国の在り方や価値観をそのまま認めることは、自殺行為に等しい結果を招きかねず、こうしたトリッキーな相互主義もまた、相互主義のはずが一方的な侵害に行き着くというメビウスの輪戦略の一つではないかと思うのです。(おわり)
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