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2019-10-22 00:00
(連載1)トルコ軍のクルド人攻撃とその国際的な問題点
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
今日はクルド人とトルコ人の話をしなければならない。そこで、ほとんどの日本人に馴染みのないこの「クルド人」という人々のことに関して、まずは解説しよう。クルド人とは、トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、人口は2,500万~3,000万人といわる独自の国家を持たない民族集団である。宗教的にイスラム教やヤジディ教の人口が多い。中世ではオスマントルコ帝国に属していたが、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスとロシアによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。
クルド人の文化は、もともとが彼らは山岳遊牧民族であり、山羊や羊などを連れて山の中を移動しながら生活するスタイルの人々と、もう一つはその間においてイスラムキャラバンに対して宿などを提供していた宿屋組合的な感覚の人々が多かった。いずれもトルコ東部からイラン北部にかけての先住民族であるというような感覚を持っており、山岳宗教とイスラム教を併せ持ったような宗教観を持っていたのである。一時、クルディスタン共和国などがロシアの背景でできたような時もあったが、20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。クルド人は、その後も何度も独立戦争をしていたために、トルコやイラクからは独立を許さないという意味で、迫害されてきたのである。
イラク戦争の際には、アメリカは外交諮問機関にいたピーター・ガルブレイスが主軸になって、クルド共和国の設立や憲法草案を作り上げるなどをし、そしてイラクを背後から脅かす存在として利用してきたのであった。もちろん、利用だけではなくそれだけの支援もしていた。アメリカの支援のもと、近年ISと戦っていたのはほとんどクルド人ではないかというようなことも言われていた。
一方のトルコのエルドアン大統領は、イラン・ロシア・アルメニア・中華人民共和国など、EU諸国以外の国々とも関係強化を図る、「ゼロ・プロブレム外交」と呼ばれる全方位外交を展開した。2001年8月に「公正発展党」を作り、もともとはイスラム原理主義的な保守派であったが、徐々に中道保守系の政党に変え、保守派を糾合して過半数を取るだけの政党に発展させた。2003年のアメリカ軍通過許可法案や姦通罪の創設などで離反者が出たものの、なおイスラム系保守主義の中心的存在になっている。だが、トルコはアメリカと親しかったはずが、2013年にクーデター未遂事件を起こしたギュレン派の粛清をしロシアに接近したことから、いつの間にか反米親露路線に切り替わった。同時にオスマン帝国の版図の復活を唱え始めたものだから、勢力拡大のために旧トルキスタン王国の復活を目論んで中国のウイグル人を支援するなど、日本から見ると一貫していないかのような外交を行っている。(つづく)
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