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2019-05-08 00:00
日本防衛への自民党の歴史的貢献と功績は偉大
加藤 成一
元弁護士
日本の防衛が、1954年創設の自衛隊と1952年発効の日米安全保障条約によって全うされていることは、今やどの世論調査を見ても国民の8割以上の圧倒的多数が認めている。現在も自衛隊が憲法9条違反であると主張する日本共産党ですら、将来、アジア情勢が好転し、国民の多数が安心して自衛隊の解消に賛成するまでは、憲法違反の自衛隊の存在を事実上認め、その間、他国から急迫不正の主権侵害などが起こった場合は、自衛隊を活用するとしている(2016年参議院選挙党首討論志位和夫委員長発言。2016年6月19日付け産経新聞)。同党は党綱領でも、自衛隊の即時無条件解消ではなく、「アジア情勢の新展開を踏まえ、国民の合意で自衛隊の解消に向かう」としているのである。このように、今では、自由民主党は勿論のこと、日本共産党を含め、与野党を問わず、どの政党も日本防衛に対する自衛隊の役割を事実上認めているが、共産党や旧社会党は当初から「自衛隊違憲論」を唱え、自衛隊の存在に激しく反対し続けてきたのであり、旧社会党に至っては「非武装中立論」さえ主張していたのである。しかし、自由民主党は、このような野党の激しい反対にもかかわらず、ひたすら日本の防衛のために自衛隊を創設し充実整備してきたのである。
さらに、1951年9月、自由党吉田茂内閣は、太平洋戦争終結後連合国との平和条約を締結する際に、ソ連など共産主義陣営を除き、米国など自由主義陣営の諸国と講和条約を締結した(いわゆる「単独講和」)が、それと同時に、米国との間で日米安全保障条約を締結し米軍の駐留を認めた。講和条約は1952年4月発効し日本はようやく独立を果たした。当時、共産党や旧社会党、南原繁東大総長などの一部文化人は、単独講和に強く反対しソ連を含む全面講和を主張した。しかし、1950年6月朝鮮戦争が勃発し、当時の厳しい米ソ対立下では、全面講和論では独立が遅れ、占領の継続になりかねず、速やかな独立のためには単独講和論が国益上妥当であったと言えよう。当時、慶應義塾大学塾長小泉信三博士も単独講和論を主張されていた(小泉信三著「私の平和論について」小泉信三全集第10巻453頁。476頁~477頁。昭和42年文芸春秋社刊)。
このように、戦後、自由民主党政権は、ひたすら日本防衛のために、共産党や旧社会党による激しい反対運動を乗り越えて、自衛隊を創設整備し、日米安保条約を締結し、改定して日米同盟の絆を強化し、抑止力を高めてきたのである。そして、「自衛隊違憲論」についても、自衛のための必要最小限度の実力組織は憲法9条違反ではないとの憲法解釈を確立し(歴代法制局長官見解)、さらに、2015年には平和安全法制を制定して、厳格な条件の下での「集団的自衛権」の一部行使を認め、米国との連携を一層強化して抑止力を一層高めた。こうした戦後からの一連の流れを見ると、自衛隊と日米安保の双方の抑止力によってこそ、70年間以上にわたって、日本の平和と繁栄がもたらされたことは余りにも明らかである。もしも、共産党や旧社会党が主張したように、日本に自衛隊も日米安保も一切存在しなかったならば、日本は無防備の「真空状態」となり危険極まりないのであり(前掲「小泉信三全集」第10巻463頁。473頁~475頁。)、日本は、ひたすら「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」(憲法前文)すべく、国連を含む平和外交に頼るしかなく、日本の存立と1憶3000万国民の生命財産の安全を、戦後70年間保持し得た保証は全くない。その意味で、自衛隊や日米安保に反対し続けた共産党や旧社会党がいかに危険で、いかに無責任であるかは明らかである。
ロシアの軍事介入によるクリミア半島併合、中国による国際法無視の南シナ海人工島建設、常態化した尖閣諸島領海侵犯など、軍事大国の力による現状変更の試みや侵略行為は今も後を絶たない。自衛隊のさらなる充実整備と日米同盟の強化は、わが国に対する侵略行為を未然に抑止するためにも必要不可欠である。戦後70年間、ひたすら日本防衛のために、共産党や旧社会党の激しい反対運動にも拘らず、自衛隊を創設整備し、日米同盟を強化し、抑止力を充実強化して、日本国の存立と平和、日本国民の生命財産を守り抜いた自由民主党の歴史的貢献と、その功績は誠に偉大であると言う他ない。
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