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2019-01-07 00:00
(連載1)国際捕鯨委員会からの脱退に思うこと
岡本 裕明
海外事業経営者
日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決定しました。同委員会に於ける捕鯨の考え方について日本側と全くそぐわないことから、これ以上、この団体に所属していてもしようがないという結論に達したようです。本件、皆様、それぞれに思うことがあるでしょう。議論百出だと思います。まずはいきさつ等について簡単に触れておきます。国際捕鯨員会はクジラ資源の管理を目的に1948年に主要捕鯨国15カ国で設立されました。当初は南極での捕獲高規制以外は何もなかったのですが、1960年以降、一部の捕鯨国が反捕鯨化に転換します。理由は採算が合わないこと、動物愛護、環境保護などで英米、オランダ、オーストラリアがその先陣となっています。その後、70年代に入ると捕鯨国と反捕鯨国の対立が激化、反捕鯨国の多数化工作で1982年に捕鯨モラトリアムが可決されます。これにより商業捕鯨禁止の道筋ができ、IWCでは賛成が4分の3がないとこれを覆せないため、日本の捕鯨は調査捕鯨を別にして実質封じられてきました。
一方、日本に於ける捕鯨の歴史は縄文時代に始まるとされるほど古く、海洋国家日本は鯨と共生してきたと言ってもよいでしょう。この歴史は戦後直後、別の形で多くの国民に接することになります。それは敗戦後の日本の食糧事情が悪く、鯨肉は貴重なたんぱく源だったことからGHQが捕鯨を承認するのです。当時、日本人は動物性たんぱく質の4割をクジラに頼ったのです。ところが鯨肉は必ずしも旨い、という印象を持っていない方もいるでしょう。(クジラ肉が好きな方には異論があるのは分かっていますが、あくまでも一般的印象です。)小学校の給食で鯨肉が出た記憶がある方は今50代半ばから上だと思います。私も食べましたがとても嫌いでした。とにかく堅い肉だったこと、パサついていたことなどを覚えています。当時の給食ですからそんなに作り立てのうまいものが出てくるわけではなかったこともあるでしょう。
ただ、私の味覚がそれほど狂っていなかったと思われるのは、その後、鯨肉の消費は大きく下落するのです。1960年代前半は年20万トン以上の消費があったのに1980年には5万トンを割る水準になっています。つまり、上記でいう1982年のモラトリアムの前に既に日本では鯨肉は主流ではなくなっていたのであります。そして、商業捕鯨禁止後は年間数千トン程度で推移しています。80年代にはすでに鯨肉が一般家庭の食卓から消えているわけですから今、30代以下の人は食べたことすらない人がほとんどではないでしょうか?そんな中、国際捕鯨委員会からの脱退を決意、それに関して菅官房長官の談話として「来年から商業捕鯨を再開すること、IWCが反捕鯨ありきの団体となり、発展的討議が出来ないことを鑑み、脱退することとした」(意訳)としています。
ではなぜ、ここにきて脱退に至ったのか、政治的背景とみる節はあります。つまり、和歌山太地町を地盤にする二階幹事長、下関を出身とする安倍首相、千葉の捕鯨拠点を持つ浜田靖一捕鯨対策委員長といった捕鯨に縁がある政治家が後押ししたとみられています。これを矢面で進めたのが水産庁でそれに対して穏健な解決方法を探る外務省と激しく対立したものの水産庁が押し切った形となっています。(つづく)
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