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2018-11-15 00:00
(連載1)移民政策と植民地主義の共通点
倉西 雅子
政治学者
今般、政府から提出された入国管理法改正案は、特定技能2号の設置により外国人労働者の定住化をも視野に入れ、さらに多文化共生主義の元での地域受け入れ態勢の整備をもセットとしているため、事実上の移民政策とする評があります。先進国におけるグローバリズムに伴う移民問題の発生は近年来の出来事であるため、同問題は現代社会が抱える固有の問題の一つと見なされがちですが、人類史を俯瞰しますと、人の移動は戦争や内戦、あるいは、奴隷制度など様々な禍の元凶ともなってきました。
アジア・アフリカにおいて植民地化された歴史を有する諸国を見ましても、人為的な人の移動は今日に至るまで癒しがたい傷跡を残しています。例えば、昨今、国際社会の関心を集めているミャンマーのロヒンギャ問題の背景には、英東インド会社による同地帯の支配があり、同社から領土を引き継いだ大英帝国の負の遺産とも言えます。歴史的経緯からすれば、ミャンマーを追われたロヒンギャの帰還先も、出身地であるバングラディッシュとする見方もできるわけですので、国際社会がロヒンギャの人々はミャンマーに‘帰還’すべきと決めつけ、ミャンマー政府を一方的に批判するのは、どこか不条理なようにも思えます(既に東インド会社は解散しており、真の責任者は常に歴史の背後に隠れているという問題もある…)。
ミャンマーよりも深刻な問題を抱えたのは南太平洋のミニ国家の一国であるフィジーです。同国では、英領時代にあって、砂糖プランテーションの契約労働力としてインドから労働者が強制的に送り込まれました。この結果、インド系住民の人口の増加によりフィジー系が56.8%、インド系が37.5%となり(2007年時統計)、1995年には初のインド系首相も誕生しています。現在では、フィジー系とインド系との融合も進んでいるとはされますが、外部からのインド系住民の流入により、フィジー島の社会が大きく変質せざるを得なくなったのは否定し難い事実です。
上記の二つの事例は、移民側も受け入れ側も双方とも植民地の住民であり、東インド会社、あるいは、宗主国が、現地社会の混乱や負担、並びに、長期的な影響を全く考慮せず、経営者、あるいは、統治者の立場から、支配地の人々を人為的に移動させた結果として発生した問題です。こうした問題は、両国に限らず、植民地支配を受けた諸国に共通してみられ、移住させられた側に‘侵略’の意識はなくとも、異質なものに対する本能的な警戒心や拒絶感から、現地住民との間に軋轢や対立が生じてしまうのです。植民地支配の罪深さは、その経済優先主義による植民地社会の破壊と混乱にあり、入国管理権を失った側は、絶え間ない外部からの人の移入というリスクに晒され続けるのです。(つづく)
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