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2018-09-03 00:00
終わらない三つ巴の世界大戦
倉西 雅子
政治学者
第二次世界大戦とは、その三つ巴の構図において人類の戦争史にあって稀なケースに分類されます。1対1となる一般的な戦争では、武力を以って争いに決着が付けられれば戦争は終結しますが、三つ巴の場合には、1対2の構図による戦争が終わっても、すぐさま勝者の間での1対1、あるいは、別の組み合わせによる1対2の構図の対立が生じてしまうからです。
第二次世界大戦を大まかにスケッチしますと、自由主義陣営、共産主義陣営、並びに、超国家主義陣営の三陣営による三つ巴において(超国家主義の‘超’は、ここでは‘スプラ’ではなく、自国の他地域への拡大志向を含む‘ウルトラ’の意味…)、1対2、即ち、枢軸国対連合国の構図で戦争が遂行されました。連合国には、自由主義陣営と共産主義陣営の両者が含まれていますので、1対2となるのです。第二次世界大戦と冷戦との関係については、断絶論と継続論があるものの、世界を舞台とした対立が当初から三つ巴であった点から見ますと、日本国の降伏を以って全ての対立関係に、イデオロギー対立を含む政治的な決着が付いたわけではありませんでした。超国家主義陣営が消えた後に、米ソ間の1対1の対立による二極構造が出現し、枢軸国陣営を吸収した自由主義陣営が共産主義陣営と鋭く対立するのです。こうした点を踏まえれば、説得力は、継続論の方が優っているかもしれません。
それでは、1990年代におけるソ連邦の崩壊とそれに付随する冷戦終結は、第二次世界大戦を過去のものとしたのでしょうか。現状から判断すれば、終結からはほど遠いとしか言いようがありません。ロシアは、プーチン政権の下で共産主義から超国家主義へと変貌を遂げており、共産主義陣営の盟主を引き継ぎつつ、ソフトな超国家主義へと転換した中国と緩い陣営を形成しているように見えます(もっとも、米ロ連携の可能性もないわけではない…)。ここでも、1対2に構図の再来が予感されるのであり、さらに多極化が進めば、三つ巴を越えた四つ巴や五つ巴の構図もあり得るかもしれません。ジョージ・オーウェルが描いたかの『1984年』では、世界全体が3つの帝国によって支配されており、戦争はこれら三者の‘組み換え’によって永遠に続いています。オーウェルは、三つ巴の対立構図が、‘恒久平和’どころか、‘恒久戦争’をもたらすメカニズムとなり得ることを、小説を介して人類に警告したかったのかもしれません。そして、イデオロギー色が薄まった今日、世界大の三つ巴は、‘帝国’間の対立として『1984年』の構図に類似してくる可能性も否定はできないのです。冷戦終結後も続く新たな対立構図は、人類の未来に暗い影を落としています。
現状を見ますと悲観に暮れてしまうのですが、希望が全くないわけではありません。先ず、確認すべきことは、共産主義であれ、自由主義、特に新自由主義であれ、そして、超国家主義であれ、何れも拡張主義を旨としており、国民国家体系を踏み躙っている点です。戦後の風潮として、国民国家を戦争の主因と見做し、同体系を早急に壊すことこそ平和への道とする考え方がありました。しかしながら、実のところ、行くべき道は逆であって、法の支配によって擁護される国民国家体系こそ、人類が失ってはならない平和の礎なのではないでしょうか。この認識さえあれば、すべきことは自ずと見えてくるのではないかと思うのです。
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