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2007-04-06 00:00
日本の戦争責任―歯止めがきかない日本国家
河東 哲夫
Japan-World Trends代表
日本の戦争責任についての議論に対して、以前から「それが全貌ではないだろう」という隔靴掻痒の感じがしていた。法律的議論が勝ちすぎて、当時の社会の実感がつかめなかったからだ。そこで、満州事変前後の朝日新聞を読んでみた。国会図書館ではこの時代の新聞の閲覧者が多いと見えて、もうぼろぼろになっている。
満州事変は、平和な社会に寝耳に水だったようだ。朝日も一面トップ扱いだが、事変直後も紙面全体の70%程は平和な日本社会の記事である。事変勃発の原因については当時の通信社「電通」特派員の配信が唯一のソースで、「中国側が満州鉄道を爆破したから」という、現地取材も情報源の明示もない、簡単な一語しかない。事変が起きた後は、評価を加えずに淡々と戦況の進捗を伝えているように見えるが、実は「これまでも南満州鉄道に関わる日本の利権は、中国側によって再三侵害されてきた」という記事を多数出すことで、戦闘を正当化している。河本大佐等、関東軍の独走については、彼らが秘匿していたから、当然のことながら記事はない。
事変勃発直後に英国は金本位制から離脱して、世界的な通貨切り下げ競争、市場の囲い込み競争が起こる。同時期に埼玉県中部を震源とした強震が、東京をも「異常な長時間」にわたって揺らしている。当時はラジオが普及し始めた頃で新聞は焦り、号外を連発していた。この6年後の1937年、日本軍の南京占領事件の頃になると(虐殺のことは報じられていない)、さすがに「戦争が日常」という感じになって、紙面の70%程は戦争関連である。この6年間、世論がどのように変化していったかを調べてみないといけないのだが、新聞からだけでは恐らくわかるまい。
今のところ感じていることは、ワシントン軍縮会議などを契機に軍というものに対する世論の評価は下がっていたはずなのに、おそらく満州事変に溜飲を下ろし、「満蒙生命線」に不況からの脱出の光明を見た国民が、軍への評価を180度変えてしまったのだろう。上司に逆らい、あらぬ方向に猪突猛進する者が、日本では皆の喝采を受け、英雄視されやすい。それだけ、その「上司」が国民に対する普段の説明を欠いていて、不満、不信を招いているからだ。日本の大新聞は欧米のクオリティー・ペーパーを志向しながらも、購読部数が上がらなければ存続できないので、どうしても世論の風向きを読み、迎合し、結果として世論とマスコミが互いに煽って競合、脱線していくことになりやすい。
近代国民国家の中で、日本は世論に最も流されやすい。今もそうだ。どうしてなのか? 強いリーダーがいないせいか?いくつかの例外を除いて、おそらくそうだろう。そして、基本的には官僚主導国家であったことが、危険を冒してでも世論にできることとできないこと、負担を負ってでもやらなければならないことを噛み分けて説明するリーダーを稀にしか生まなかったのだろう。戦争責任の問題は、誰が悪い、かれが悪い、といった後ろ向きの議論ばかりでなく、再発を防ぐにはどうしたらいいか、軍隊・警察という強大な力の装置を持った近代国民国家を正しく運営していくにはどうしたらいいか、といった観点からも論じられるべきだ。憲法を改正するに当たっても、この点を前面に据えなければ、世界の猜疑心を徒に呼ぶだけだろう。
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