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2018-04-14 00:00
アメリカ経済の“脱中国シフト”の政治的意図とは?
倉西 雅子
政治学者
北朝鮮の核放棄をめぐって、日本国の河野太郎外相は、北朝鮮の金正恩委員長の面子を立てる方策についてアメリカと協議したことを明らかとしました。しかしながら、無法者の面子を護る必要があるのか、疑問なところです。具体的には、金正恩委員長が、国内向けの発言として「国際社会は屈した。核兵器は不要になった」と宣言をしても、アメリカ、並びに、国際社会との合意通りに核放棄を実行すれば、日米はその発言を受け入れる準備がある、というもののようです。この方針は、北朝鮮の核放棄と引き換えに金正恩独裁体制を日米が承認することをも意味します。しかしながら、この方針、幾つかの点でモラル・ハザードを起こすリスクがあります。
第1に、法の支配の確立を訴えてきた日米両国が、たとえ北朝鮮国民に向けた宣言であっても、無法者に対する“屈服”を公然と認めれば、武力によって周辺諸国を威喝する無法者が勝利する世界を是認したことになります。この方針は、近代に始まり、今日に至るまで多大なる犠牲を払いつつ構築されてきた国際法秩序を自ら否定し、根底から覆す危うさがあります。北朝鮮は、常々、負けを認めない強がり発言を繰り返してきましたので、完全に無視するか、あるいは、国際社会の制裁に屈したのは北朝鮮側であることを強調した方が望ましいように思えます。北朝鮮は、国連のみならずNPTにも加盟しながらアメリカをはじめとした国際社会を欺き、秘密裏に核兵器を開発してきた罪深い国です。第2のモラル・ハザードは、“罪”に対する“罰”がないことです。否、罰するどころか、法やルールを蔑にしてきた無法者の面子を立てようとしているのですから、道徳や倫理の原則に照らしますと善悪の倒錯が起きています。古来、ルール違反や抜け駆けは不名誉な行為なのですから、北朝鮮の面子を護る必要性はないと考えられるのです。
第3に懸念されるのは、国際社会に対して“独裁者の甘やかし”という誤ったメッセージを送るリスクです。民主主義国家にあっては、その首相は、政策運営に失敗すれば、常々国内外から手厳しい批判を受け、退陣や政権交代に追い込まれることも少なくありません。誰も面子など気にかけてくれず、むしろ、メディアを含めた内外からの容赦ない批判は当然のこととして受け止められています。ところが、こと独裁国家となりますと、何故か、その批判のトーンが低下してしまうのです。独裁国家では、厳しい言論統制が敷かれており、国民が政権を批判すれば身に危険が及びます。そうであればこそ、民主主義国家は、政治的自由を不当に奪われている国民のために独裁者の批判を積極的に行うべきなのですが、当の民主主義国家が独裁者の面子を護るようでは、“怖いものなし”となった独裁国家はのさばるばかりとなりましょう。
以上に主要なモラル・ハザードについて述べてきましたが、無法者の独裁者の面子を護ることは、国際社会における法の支配の原則を後退させ、暗黒の世界へと導く恐れがあります。軍事大国である中国やロシアにおいても独裁化が進行している中、自由で民主的な国家までもが同調したのでは、国際社会が不安定化するのは必至です。河野外相は、同面子容認方針をアメリカのティラーソン前国務長官との間で話し合ったそうですが、同氏の更迭も、今般の一件からも垣間見られる対北宥和的な姿勢にあったのではないかとも推測されるのです。
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