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2018-03-29 00:00
立憲主義は民主主義とセットでなければ無意味
倉西 雅子
政治学者
今月11日、中国の全国人民代表大会は、国家主席の任期を2期10年までと定めていた憲法改正案を可決し、習近平国家主席の3期続投を阻む憲法上の障壁は消滅しました。終身国家主席への布石とも評されており、同改正案が習主席の意向を受けたものであることは疑いようもありません。凡そ腐敗追放運動と軌を一にして遂行されてきた習主席への権力集中は、遂に集団指導体制から個人独裁への転換を帰結したわけですが、憲法改正に至る一連の動きから痛感させられるのは、立憲主義は、民主主義と一対でなければ無意味となるという歴然とした事実です。
日本国をはじめとする民主主義国家では、憲法は、為政者による恣意的な権力行使を防ぐ砦であり、政府もまた、憲法に服するものと理解されております。政府の行為に僅かでも違憲の疑いが持たれようものなら、政界もマスメディアも蜂の巣をつついたような騒ぎとなります。しかしながら、こうした立憲主義の制御作用は、あくまでも、憲法制定権力と称されている憲法を制定したり、改正したりする権力が国民に存する―主権在民―の国に限られていると言わざるを得ません。
共産党一党独裁体制を維持している中国のように、特定の政党、あるいは、その政党のトップに憲法制定権力が事実上握られている国では、憲法の条文が為政者の意向と衝突する場合、為政者は、国民を完全に無視して自らの意のままに憲法の方を改正できるからです。民主主義国家の憲法改正手続きと同様に、仮に中国でも、国家主席任期の撤廃に関する憲法改正案に対する賛否を国民投票を以って中国国民に問うとしたら、恐らく、過半数の賛意を得ることはできなかったのではないでしょうか。
同憲法改正案には、党員以外の公務員らも摘発対象に含める「監察委員会」の新設も盛り込まれていたそうです。監察を専らとする国家機関の設立には、政治的粛清手段を手放したくない習主席の思惑が滲み出ており、否、その権限を自らの手中に収めるためにこそ憲法に明記したのでしょう。そしてこの機関は、アケメネス朝ペルシャ帝国の“王の目・王の耳”と呼ばれた皇帝直属の行政監察機関を思い起こさせるのです。非共産党員を含む全ての公務員は、日々、習主席の監視の目を怖れ、その命令への絶対服従を強いられることでしょう。“現代の皇帝”を生み出した中国における“時代の逆走”は、他の諸国にとりましては反面教師でもあります。立憲主義が機能する条件を再確認すると共に、民主主義のメリットをより深く理解する機会となったのですから。
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