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2018-03-10 00:00
(連載2)「日中関係は改善」との宣伝について
加藤 隆則
汕頭大学長江新聞與伝播学院教授
「日中関係は最悪」と言われた2012年当時、私は北京で特派員をしていたが、現地で暮らす日本の駐在員たちと同様、こうしたメディアの枕詞に違和感を持っていた。そこで、同じ気持ちを共有している新聞・通信・テレビの仲間に呼びかけ、『日中対立を超える「発信力」──中国報道最前線 総局長・特派員たちの声』(2013年、日本僑報社)を、さらに中国で仕事をしている経済関係者約30人を集め、『日中関係は本当に最悪なのか?――政治対立下の経済発信力』(2014年、日本僑報社)を出版した。後者は中国語版も発行された。
日中関係というと、みなが政府間の関係を想像するが、現場でかかわる者たちにとっては、日々、身体の目の前で接する現実が日中関係である。仮想の国家関係はしょせん、バーチャルなゲームに過ぎず、リアルな関係は生活の場にこそある。想像によって形成される国家の壁は厚く、高いが、生活の場を土台としない限り、個人が政治に利用され、騙され、翻弄される運命から逃れることはできないと考える。
中国での暮らしも13年目になるが、政府関係の「悪化」や「改善」によって、自分の生活が変わったと思えたことは一度もない。むしろ、それとは逆の経験をすることが多い。「悪化」が騒がれる中で、親密になることもあるし、「改善」の裏で、日本人への悪感情に接することもある。その都度、一つ一つの出来事を乗り越えていくという形でしか、根源的な人間同士の関係は築けないのだと思う。いつも降ってわいたように語られる「日中関係」は、頭の中で描いただけの仮想でしかない。心に響いてこないものは、長く人の記憶にも残らない。
日本人は誤解しているが、中国人の多くは国家や組織よりも個々の人間関係を重んじる。公私を巧みに使い分ける賢さを身につけている。企業や組織の人間として立ち振る舞えない国とは大きく異なる。だからこそもっと、国家の大きな物語から解放された、個人の小さなストーリーを大切にすべきだと感じている。要するに、タコ壺に逃げ込んで傍観者にとどまるのではなく、自分に何ができるのかを考えることが肝要である。パンダが国家関係を変えてくれるはずもなく、政治家の利益によってどうなるものでもない。そんな隣人関係が築かれることを切に願う。そのときにはきっと、「悪化」や「改善」といった浮ついた言葉も、もはや使われなくなるに違いない。(おわり)
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