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2007-03-19 00:00
連載投稿(5)アジア通貨危機が新たな原点
山下 英次
大阪市立大学大学院教授
前回述べたように、アジア諸国は、ASEM(アジア・ヨーロッパ会合)というヨーロッパとの枠組みを利用することを通じて、実質的にはEAEG構想の実現に漕ぎ着けた。そして、1997年7月タイで発生したアジア通貨危機は、アジア諸国にとって「ウェイクアップ・コール」となり、地域統合の推進に向けての彼らの決意をさらに強める新たな原点となった。いまや、「アジア通貨危機を教訓とせよ」というのが、アジア諸国にとって統合の合言葉になった感がある。
1998年12月、ハノイで開催された第2回「ASEAN+3」首脳会議で、韓国の金大中大統領(当時)の提案により、「ASEAN+3」13カ国の民間有識者の代表によって構成される「東アジア・ヴィジョン・グループ」(EAVG)の設立が決定した。EAVGは、2001年11月、「東アジア共同体の設立に向けて」と題する最終報告書をまとめ、ここで東アジア地域統合の推進に関する極めて重要かつ包括的な提案がなされた。これを踏まえて、「ASEAN+3」13カ国の政府代表によって構成される「東アジア・スタディ・グループ」(EASG)の最終報告書が提出され、17の短期的提案と9の中長期的提案が出された。
ちなみに、9つの中長期的提案の中のひとつとして、「ASEAN+3」を東アジア・サミットに「進化」させることが明記されている。すなわち、平たく言えば、取りあえず「ASEAN+3」という低姿勢の名前で東アジア地域統合をスタートさせることにしたが、いずれは「東アジア」というより自然な名前に変えようではないかというものである。そのような日本を含む13国の政府代表によって構成されるEASGの最終報告書があるにもかかわらず、日本政府は、2005年12月の第1回東アジア・サミットに向けて、オセアニア諸国も入れるべしとの提案をしてしまったのである。その結果、「ASEAN+3」と東アジア・サミットという2つの枠組みができてしまったのである。
これまで本稿で述べてきたように、アジア地域統合の推進に大きな貢献をしてきたのは、ASEAN諸国や韓国であり、日本はかなり消極的にそれについてきたという感じは否めない。そのような日本が、これまでASEAN諸国や韓国が地域統合に向けて苦労して積み上げてきた経緯を無視し、アジアにおける統合はまだ極めて初期段階にあるにもかかわらず、安易に拡大提案をしてしまったわけである。このような日本の姿勢に、アジア諸国がどれだけ反発し、失望しているのか、われわれは良く理解しなければならない。
日本が、ドイツ、ブラジル、インドとともに、国連安保理の常任理事国入りを目指したとき、ASEAN諸国から1カ国も共同提案国になってくれなかったが、そうした背景には、このような日本政府の政策姿勢がある。中国の圧力があったことは事実であろうが、日本が常任理事国入りし、国連安保理内で日本がアジア諸国の利益を代弁してくれると確信すれば、ASEAN諸国も、もっと強く日本を支持したに違いない。彼らは、日本の常任理事国入りは、安保理内におけるアメリカの票を一つ増やすだけだと考えたに違いない。そして、極めて残念ながら、わが国の現状ではそうした彼らの見方は的を射ていると認めざるをえない。米国の政策が、アジアでというよりも世界的に強い反発を招いていることと、日本に対する批判的な見方がASEAN諸国内で広がっていることとは無縁ではないのである。(つづく)
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