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2018-02-17 00:00
(連載2)中国版フィルター・バブルの現状
加藤 隆則
汕頭大学長江新聞與伝播学院教授
私が、フィルターの力を思い知らされたのは、事件から1年後の2017年11月11日、江歌の母親と劉鑫が初対面した映像を見た時だ。それまで劉鑫が母親を避け、チャット上で母親が彼女を罵り、彼女もそれに反論するという対立状態だった。映像のタイトルは「和解できるか?許せるか?」。対面のシーンでは、劉鑫が、江歌の持っていたアクセサリーや写真を母親に返し、ひたすら謝罪した。だが、母親は受け入れないばかりか、わざわざ自分が高い椅子に座って見下ろすようにし、「みんなの前で話しなさい」と責任追及をした。母親は「私には数千万人のネットユーザーが応援していると」と断ったうえ、劉鑫に対し、「私に話しても意味はない。ネットに対して話しなさい」と糾弾した。最後は「私から離れてくれ」と繰り返し、和解も許しも実現しなかった。
一人娘をめった刺しにされた母親の胸中は察するに余りある。だが、日本人である私は、母親の度を過ぎた態度に違和感を覚えた。道徳を振りかざせば何をしてもいいというわけではない。本来は一対一の人間関係による感情のもつれだ。それがいつの間にか、一人をその他多数が断罪する図式に変わり、母親がネット世論を代弁しているかのように振る舞っている。かつての恋人に付きまとわれ、下手をすれば殺されていたかも知れない劉鑫もまた被害者ではないのか。そう思わざるを得なかった。
中国のネットではしばしば、こうした感情先行の報道が問題になる。新聞やテレビが強い当局の規制を受け、ニュース市場での主導権を失っていることもある。アクセス数を稼ぐため、各サイトがなりふり構わず刺激的なニュースを編集し、発信する。フェイクニュースをめぐる論争も絶えない。中国版フィルター・バブルは、アルゴリズムによる無意識下の現象ではなく、共産党の指導下にある公的な権力が、党の指導方針に基づき、目に見える形で行っているのである。市場や技術が介在するのではなく、政治が主導する、あくまでも伝統的な手法だ。そもそも、グーグルもフェイスブックも、中国のネット環境からは遮断されている。
中国のネットユーザーは、自分たちを包むフィルターを意識しながら、ある時はそれをいかに突き破り、ある時はいかに折り合いをつけるか、バランスを取りながら走り続けている。その中で、江歌案のように、人間の内から目と脳を覆う道徳のフィルターが姿を見せ、行き過ぎた事象が起きる。ネットはむき出しの利益がまかり通る空間でもある。だが、無意識のうちにコントロールされている社会にはない緊張感の中で、脳と心の働きも活性化していることは間違いない。フィルターが見えない社会とは大きく異なることに留意する必要がある。(おわり)
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