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2017-12-15 00:00
改元ムードの中で考えるべき経済政策
田村 秀男
ジャーナリスト
物心がついたときにはバブル崩壊不況のまっただ中。高度成長はもちろん、バブルの時代を知らない平成世代が賃金デフレに今なお苦しんでいる。バブル崩壊した後、30年近く経ってもゼロ%前後の国内総生産(GDP)成長率とデフレが続くのは、世界では日本だけである。米国は2008年9月の金融バブル崩壊「リーマン・ショック」を引き起こしたが、恐慌は一時的で、デフレに陥ることなく、堅調な経済成長を続けている。なぜ、日本だけがそうなったのか。
昭和天皇崩御前の昭和63年(1988年)と、崩御で国民が喪に服した平成元年(89年)。筆者は当時の消費や投資の自粛ムードを思い出す。天皇陛下は譲位のご意向をやんわりと表明された昨年8月の「おことば」の中で、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」と懸念されている。陛下の御心に甘えて思考停止していては、バブル崩壊とその後の20年以上もの間、今なお引きずる経済空白の真因を客観的に突き止めることはできない。実際に、平成デフレは誰が元凶なのか、アカデミズムもジャーナリズムも真相を突き止めようとはしない。
いつの世も経済を左右する決定要因は政策である。日本人特有のつつましい一般的な国民心理が作用するとしても、崩御が日本経済凋落の端緒になるはずはない。誤った政策を実行した当局こそが責められるべきであり、当局者は知らぬ顔、マスコミやアカデミズムは批判するどころか擁護し続けている。バブル全盛期の88年央に前年比5・8%伸びていた実質個人消費は、平成に入った89年6月に2・8%に落ち込んだが、ほんの一時で、同年末には5・8%まで回復している。バブル期に実質で前年比15%以上増えてきた民間設備投資は89年3月の25%増をピークに急減し始め、91年にはマイナス水準まで転がり落ちた。設備投資こそは日本経済のダイナミズムのエンジンなのだが、完膚無きまでに打ちのめしたのは政策である。日銀は89年5月、公定歩合を年2・5%から一挙に3・25%に引き上げたのを皮切りに、矢継ぎ早に利上げを繰り返した。日銀副総裁、総裁として主導した「平成の鬼平」こと三重野康氏は日経平均株価を89年暮れの3万8915円からわずか9カ月で2万0983円に暴落させた。
大蔵官僚も竹下登内閣を動かして89年4月に消費税導入を実現させた。さらに橋本龍太郎蔵相(当時)をたきつけて90年3月、銀行に対し土地融資総量規制に踏み切った。日銀を含む政・官のエリートたちが「改元」という時代の転換点をテコに、偏狭な視野で正義の味方然とした。その平成も31年、2019年4月末で終わり、5月1日に新しい元号の時代が始まる。改元ムードに便乗する官僚の策謀は止まない。消費税再増税は新元号元年の10月1日に予定されている。
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