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2017-11-25 00:00
(連載2)メディアはSNSとどう向き合うべきか
牛島 薫
団体職員
これは、いわゆる「慰安婦」問題に関する一流新聞社の記事撤回を機により顕著な傾向を示すようになった。「報道しない自由」というネットの皮肉った俗語にもあらわれているようにSNSユーザーの間では、これを機にジャーナリズムに対する信用が大きく揺らいだ。かつてはメディアが持つ権威性が匿名ユーザーによる批判に力を持たせなかったが、これ以降潮目が変わった。新聞などのメディアの記事はSNSで容易に(大抵は引用者の批判的な解釈を伴って)伝播し「この情報を流さなかった」とか「あの情報ばかり強調する」とかいった批判が事あるごとに強調され同調するSNSユーザー間でメディアへの嫌悪感が拡大していくようになった。そこにはジャーナリズムに対する信頼というものはない。この傾向は今回の解散総選挙で特に顕在化した。新聞やメディアは森友問題や加計問題などに多くの時間や面積を費やして安倍政権の検証を行ったが、Twitterを始めとしたネット上ではそれが逆に「偏向報道」の根拠として材料化されてしまっていた。
その結果、多くのSNSユーザーは森友問題や加計問題に耳を貸さない状態になったのであろう。あれほど新聞やテレビが重点報道したにも関わらず、各社の直近の世論調査はどれも同問題を国民が軽視することを示すデータを弾き出した。投票日前から既に与党大勝の世論調査ばかりがでて、メディアの方向性と噛み合わなかった。メディアはこの手の失敗を特定秘密保護法や安保法制でも繰り返しているが、それでもメディアがキャンペーンを張っている最中は世論は大きく反対に傾いていたため、今回の解散総選挙以前は短期的にはメディアの影響力はなおも強力だったのは確かだ。しかし、今回の解散総選挙では当初からメディアの影響力は限定的で世論に影響を与えられなかったことを考えると、エポックメイキングな出来事であった可能性がある。(なお、反安倍政権派の主張も同じような原理でネット上で伝播している。今回の選挙でメディアは希望の党や立憲民主党に対する評価を必ずしも明確に行わなかったが、前者が潰滅的な当選率となった一方で後者が躍進したのもネット上のトレンド推移からある程度説明できる。)
では、新聞やテレビなどの既存のメディアはその歴史的役割を終えたのかというとそうではない。「ネット世論」は多様性がその性質上生まれにくく、是か非かの極論に寄り易い。その上、SNS上に広がる莫大な量の情報の殆どは発信者の都合や目的に合わせて意図的に加工されているにも関わらず、取捨選択して知識として適切に解釈する情報リテラシーがユーザーに十分に備わっているかといわれれば、そうとはとても言えない状況だ。デマや極論、差別や妄想の類が常にネット空間に充満している。なにより取材を結局は既存メディアのマンパワーに依存している場合が多く、現状ではSNSそのものが報道機関の代替物たり得ることはできない。しかし、既にネットユーザーたちが総体として、発信される情報を容易に比較・検証できる力を獲得したことをメディアは胸に刻まなければならないであろう。既存のメディアはこの十年、発行部数の減少や視聴率の低下など主に収益面からインターネット時代の身の処し方を議論してきた。新聞は電子版を発行しポータルサイトに記事を配給している。テレビ局はインターネット上に番組を供給するようになった。これはこれで素晴らしい企業努力だが、しかし、ジャーナリズムの側面からのインターネット時代の身の処し方については大いに課題が残っているのではないか。
「ネット世論」という新たなダイナミズムが国政選挙にまで影響力を及ぼすまでになった以上、これを無視したり蔑視したりするべきではない。メディアは民主主義に不可欠な社会の公器であるにもかかわらず、困惑し無策に迷走しているのは残念としか言いようがない。あまり難しく考える必要はないのではないか。SNSは究極的には広告業の類で政治領域で威力を発揮したのは意図したものではない。ユーザーも情報交換や精神活動のツールとしてSNSを利用しているに過ぎない。SNSは世論形成のために設計されているわけではないし、SNSユーザーはジャーナリズムなど意識せず集団心理に似た運動をする。そういうSNSの特性を踏まえればメディアが共存する方法はいくらでもあろうと思う。既存メディアはSNS時代の新しいあり方を提示し、力強く世論を啓発してほしい。(おわり)
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