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2017-11-03 00:00
平壌宣言という悪しき前例
倉西 雅子
政治学者
北朝鮮問題については、マスメディア等でも一縷の望みを託すかのように米朝トップ会談による解決が囁かれてきました。トランプ大統領が平壌を電撃訪問し、金正恩委員長との間で歴史的な和解を成し遂げる、というシナリオです。米朝トップ解決が実現するならばまさしく“サプライズ外交”となり、全世界が驚愕すると共に、平和の到来に安堵するかもしれません。しかしながら、2002年9月における小泉純一郎首相による突然の平壌訪問、並びに、これを機とした両国トップによる平壌宣言の公表は、このシナリオに暗い影を落としています。
小泉首相の訪問は、一部ではあれ、拉致被害者の帰国を実現したという側面において、一定の評価を得てきました。しかしながら、このトップ会談による合意が、北朝鮮をめぐる諸問題に根本的な解決をもたらしたのか、というとNOと言わざるを得ないのです。否、当時よりも今日の方が北朝鮮問題は悪化しており、むしろ、“日朝和解”の演出による北朝鮮に対する警戒感の低下が、核・ミサイル開発に拍車をかけたとも言えます(水面下では北朝鮮に対して事実上の“身代金”が支払われたとする指摘もある…)。平壌宣言では、国交正常化に伴い、日本国側から北朝鮮に対して無償資金協力、低金利長期借款、国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力など、官民に亘って大規模な経済支援が提供される旨が明記されていました(1兆円規模?)。ただし、同宣言には、「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。…」とあり、経済支援の前提として核・ミサイル問題の解決を挙げているのです。
言い換えますと、経済支援付の日朝国交正常化と核・ミサイル問題の解決は、バーター取引の関係として理解されます。ところが、北朝鮮は、翌2003年にNPTからの脱退を表明し、2005年には核保有を宣言し、そして2006年には、遂に最初の地下核実験に踏み切きります。ここで平壌宣言の前提は脆くも崩れ、同宣言が定めたシナリオも消滅するのですが、平壌宣言後の北朝鮮の行動は、同国にとって合意というものが、如何に軽いものであるのかを示しております。と同時に、たとえ巨額の支援金を見返りとして積まれても、核・ミサイル開発だけは決して放棄しないとする北朝鮮トップの固い意志が窺われるのです。
このケースを前例として今後の米朝トップ解決の行方を占ってみますと、派手な演出付きで一時的な合意が成立したとしても、北朝鮮に合意の誠実なる遵守を期待することは困難です。この点は、94年の米朝枠組み合意において、既にアメリカも認識しているはずです。仮に米朝トップ解決の可能性があるとすれば、それは、アメリカの軍事的圧力に屈する形での、トランプ大統領を前にした金正恩委員長による事実上の“降伏文書”への調印となるのではないでしょうか。
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