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2017-10-26 00:00
(連載1)アメリカの対北先制は国際法上許されるか
倉西 雅子
政治学者
朝鮮半島では、米朝間の軍事的睨み合いが続いており、両国のどちらによる先制もあり得る緊迫した状況にあります。何れの武力行使に対しても反対の声も少なくありませんが、少なくともアメリカの対北先制は国際法上において許されるのではないかと思うのです。
戦争というものが、一方の国家が他方の国家から自らが欲するものを力で奪う手段として行われていた時代の戦争観にあっては、奪う側が一方的に標的とした国家に攻撃を仕掛ける先制の形態が多々見られました。しかも、国際法が存在しない時代には、こうした行為は必ずしも侵略行為として倫理的に批判されたわけではなく、逆に、版図を広げた英雄として讃えられるケースもあったのです。
また、戦争が国家間の国益の衝突を解決する最終的手段として認められていたクラウゼヴィッツ流の近代戦争観では、先制と雖も、最後通牒の伝達や宣戦布告といった正当な手続きを踏んでいれば、一先ずは、合法的な戦争とされていました。それでは、普遍的な倫理観に根差した国際法秩序が出現した現代という時代に発生した北朝鮮問題は、どのように考えるべきなのでしょうか。
国際社会において戦争を一般的な国際法によって抑止しようとする試みは、凡そ、第一次世界大戦後における国際聯盟規約(1920年発効)の成立辺りに始まります(ヨーロッパでは、ウェストファリア条約(1648年)等に既に萌芽がみられる…)。戦前には不戦条約(1929年発効)なども成立しますが、この方向性をさらに強めたのは、第二次世界大戦後の1945年10月に発効した国連憲章です。こうした試みは、各々の国家に主権を認め、利己的侵害行為を禁じるに至る人類の倫理発展の流れを示しており、少なくとも、一方的に他国を侵害する行為は、一先ずは侵略と認定されるに至るのです。(つづく)
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