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2007-01-25 00:00
グローバル化と宿場町の再生
四条秀雄
不動産業
少子高齢化というのは、介護・医療・教育などのサービス化社会です。そこで日本の伝統的都市環境がモータリゼーションやグローバル化と組み合わされると、どういう結果になるでしょうか?よく知られていることですが、かつて宿場町や城下町といわれた日本の都市は、いまシャッター商店街から果ては無人街になりつつあります。サービス社会では、人間が密集していないとサービスの効率は上がらないので、現在の日本経済はますますサービス生産性が低下するという暗い将来への道を進んでいるようにみえます。これは何故でしょうか?
以前にも書きましたが、自動車は伝統的な「道」の役割をまるで逆転させる存在であることが理由の一つです。「道」が人のものでなく自動車のためのものになった時に、日本の伝統的都市は破壊されました。日本では自動車は非常にコストの掛かるものですから、一世帯に2台が必要な社会になると、都市に住むことは必要な駐車場を別途に確保する点で莫大なコストがかかることになるからです。自動車の存在が、都市的な集積や人の密集を不可能にします。唯一地下鉄などの交通機関が数分間隔で運行できる東京のような巨大都市でのみ、集積は維持可能となります。東京以外の100万都市は、都市内のサービス供給集積地と地下鉄網と自動車の関係を高齢化時代に備えて再構成してみるべきかもしれません。ともかく、自動車は人と人の「道」を占拠するばかりか、コストとなって人と人の間を遠ざける原因となります。
これに加えてグローバリゼーションが、見掛け上の生産性上昇のために郊外の大店舗を許容し、資本移動自由化への移行期にバブルで地価を高騰させ、固定資産税も引き上げてしまいました。日本の都市形成がいかに困難かといいますと、こうした地方中小都市の荒廃が、外国では高収益な買春街や自動車を持たない外国人街を生み出すのですが、日本ではそれさえも困難そうに見えることからも伺えます。
従って、自動車保有やグローバル化を考えると、集積にしたがって固定資産税をゼロかマイナスにしないと、日本では永遠に中小都市形成は不可能になるでしょう。そして集積に従って増加するサービス量の増加量や移動量から税を頂戴するような形にしないといけないでしょう。また、自動車と人の間で「道」をどのように分け合うか考えないといけません。例えば、自動車にとって「道」は通り抜けるものですが、人にとっては繋げるものですから、宿場町の街道の中間点に障害物を置けば、行き止まりになって自動車は通過ができなくなるでしょう。商店街への物資の搬入を目的とした自動車等は入ったところから出れば良いのです。東京のような巨大都市では、都市内の通り抜けを阻止するために環状バイパスが必要になるのでしょう。
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