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2016-10-13 00:00
通称名使用の議論は日米の国民性の相違を踏まえるべき
熊谷 直
軍事評論家
女性教員が、私立学校の事務処理にも旧姓の通称名を使いたいと主張し、拒否した学校側に損害賠償を求めて東京の地裁に訴えたが否決された。すでに最高裁で昨年、夫婦同姓は合憲という判決が出ているので、現在の日本の司法制度から見て地裁の判決そのものには私も同意したい。なぜかというと、たとえば現在の教え子が何十年か先に、資格試験などの関係で成績証明をとる必要が出てくることは多い。そのときに戸籍上の姓名でその教員が当時の成績表を作成していると、その後に教員が離婚再婚などで姓が変わっても、戸籍を調べれば容易にその教員が成績表を作成したことがわかるだろう。
これは社会生活上の問題とは別のことであり、明治初期に司法的な正確性を維持するために戸籍が作られ、当時の社会の風習に従って夫婦同姓と定められたからであろう。同性婚の問題もその意味では同じ範疇の問題に入る。それで社会生活上問題があるというのであれば、憲法や法律そのものを変えるべきだろう。ただ日本では、アメリカの考え方を参考にして制度を制定することが多くなっているが、私がいつも疑問に思うのは、論者が日本人とアメリカ人の国民性の違いを無視していることである。それも日本で制度を論じている人がアメリカの守旧的な南部で生活体験をしたのか、それともニューヨークでか、あるいは人種のるつぼそのもののカリフォルニアでか、といった背景を知らずに、論者が日米国民性の相違や州の特性を無視した一面的な主張をしているのに同調しているのではないかということである。
たとえば、遺伝的に肉食に適した白人と日本料理に適した身体特性を持つ日本人の違いを無視した占領期の戦後の食糧政策が、現在の日本人一般の嗜好を左右してきたのと同じようなことが、多くの制度面でも見られるのではないか。ちなみに私は、娘が加大ロスアンゼルス校の研究者で米白人と結婚していて二人の混血の孫がおり、自身も若い時から幹部航空自衛官として、米軍の下級兵士から将官までの幅広い付き合いがある。また、米軍少佐級の部下を持ったこともあり、比較的よくアメリカ人を知っている軍事史研究者である。活動的な一部の日本人の女性は、社会で日本人の男性と同じ扱いを受けたいと頑張ってきたので、夫婦同姓に反対するのはわかるが、それは社会的な問題であり、法的な問題とは別である。
私の一族は明治以来社会的に活動する傾向が強かったので、社会的に強くなりたい女性の気持ちはある程度分かるつもりである。しかしアメリカに倣うとしても、アメリカの女性のように妊娠中に出産日まで力仕事をするのがふつうになることを願い喜ぶ日本人女性は、今は少ないのではないか。江戸時代の下層の日本女性たちはそのような生活を余儀なくさせられていた。男たちもそれが当然だと思っていた。しかし本質的に優しい日本の男性はそれでも、妊娠中の女性に気を使っていたことを、戦前からこの目で見てきている。それゆえ、制度や憲法を変えるにしても日本人とアメリカ人は違うということを常に考えてほしいと主張しておきたいのである。
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