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2007-01-15 00:00
アジアにドゴールは現れるか
村上正泰
日本国際フォーラム主任研究員
国際金融論の第一人者であるバリー・アイケングリーンは近著「Global Imbalances and the Lessons of Bretton Woods」において、アジア諸国が米ドルを支え続けることは困難であり、現在の通貨制度や国際収支不均衡は持続可能でないと説いている。私自身も彼の議論には同意するところが多いが、その中でふと気に留まったのは、そうした状況にもかかわらず現状維持に傾くひとつの要因として、「アジア版のドゴールがいない」という点を挙げていることである。
ドゴールと言えばフランスの栄光を追求したことで知られるが、米ソ両大国による世界支配を許さず、独立した政策を推し進め、米ソに対抗する勢力としての統合ヨーロッパに主導権を発揮しようとしたのであった。通貨問題についても、米ドル主導の国際通貨体制を痛烈に批判し、金本位制の導入を求めた。こうしたことから、ドゴールの名前に由来する「ゴーリスト」という呼び名は反米的な姿勢を指し示す響きを持つことになる。
しかしながら、留意しておくべきは、ドゴールは決して教条的な反米主義者だったのではなく、その表面的な言葉では捉えられないほど秀でたバランス感覚を有し、柔軟な現実主義者であったということである。キューバ危機に際して、ドゴールはアメリカのキューバ封鎖をいち早く最初に支持したし、レイモン・アロンに言わせれば「将軍は聡明で力関係にはきわめて細心だから、大西洋同盟やアメリカ合衆国と縁を切って合衆国をヨーロッパから追い出すようなことはしない」のであった。実のところ、ドゴールこそは協調と自立の両立を図ろうとする微妙な政治技術を発揮したのである。
アイケングリーンの意図はともかくとして、ドゴールの実際の行動までを含めて考えるならば、興味深い指摘と言えるのではないだろうか。米国との協調と自立の両立とは抽象的な次元においては大変分かりやすく魅力的な言葉ではあるけれども、具体的に進めようとすればするほど実に困難であり、時として危うさを伴う作業である。そうした政治技術を兼ね備えた政治指導者がアジアに現れるかどうかといった問題は、東アジア共同体に向けた動きを大きく左右するものである。ところで、アイケングリーンは将来的には中国の指導者に可能性を見ているが、我が国に言及がないのは日米関係の強固さゆえなのであろうか。それとも我が国指導者の力不足のせいなのであろうか。深読みのし過ぎかもしれないが、後者の可能性を否定できないという現実を考えると、何とも悲しくなる。
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