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2016-06-22 00:00
日本記者クラブは節度と知性を取り戻せ
杉浦 正章
政治評論家
義経千本桜の「いがみの権太」か、それとも白浪五人男の強請(ゆすり)の「弁天小僧」か。まるでやくざの世界を見るようであったのが、党首討論における日本記者クラブ側の質問者たちであった。まぎれもなく気が弱い自らの性格をドスの利いた声で補うかのように、首相・安倍晋三や野党政治家を締め上げる。その質問の内容たるや、政治を知らない、経済も知らない。ただただ自己顕示と、売名だけが目立つ浅薄さだ。筆者はホワイトハウスや国務省、国連の記者クラブなどを熟知しているが、格段に冷静で、紳士的で、論理的だ。日本の政治記者がここまでレベルが落ちたとは知らなかった。昔は厳しい質問はしても、礼節は心得ていた。
戦後マスコミ界の偉人である時事通信代表の長谷川才次にたたき込まれたのは「記者は紳士的であれ」の一言と「平衡の感覚」だった。紳士的でないと、やくざと間違えられる稼業でもあるからだ。ところが、6月21日の党首討論は、「ヤー公」もびっくりの、すごみと脅しの連続であった。それもピタリと安倍に寄り添うが如き読売特別編集委員の橋本五郎と、反安倍のバリバリの毎日の倉重篤郎が好対照であり、記者に不可欠なバランス感覚などはどこ吹く風であった。まず橋本は、揉み手をするがごとく安倍に当たり障りのない質問。「安倍政権は折り返し地点を越えたが、これから経済以外で何をしようとしているのか。憲法改正なのか、拉致問題なのか、東京オリンピックの開催なのか。正直な気持ちを吐露してほしい」 のだそうだ。経済が焦点の選挙で「経済以外」はあるまい。容易に答えられる質問ばかり並べた。これを「悪女の深情け」、または「ひいきの引き倒し」という。ごますり質問も休み休みやれ、と言いたい。
一方で、野党には打って変わった厳しさに豹変。生活の党代表・小沢一郎に対して、「本来ならばこの席の中央に座ってもおかしくないのに、いまは、端っこのほうにいなければいけない。一体なぜそうなってしまったのか。なぜ自分がいま零(れい)落した状況にあるのか、ここはきちんと説明していただく責任がある」とただした。全国民が見ている公開のテレビで、仮にも一流の政治家を「零落」 と表現したのだ。小沢は「零落していない」と述べたが、内心怒り心頭に発していたであろう。小沢が零落していようといなかろうと、今日本の政治が直面している問題と、どのように関連してくるのか。質問の意味が不明で、独善そのものだ。古来日本には「武士の情け」という言葉がある。敗者を深追いしないという美風だ。橋本発言は、まるで三流やくざのように、他人の傷に塩を塗り込むような発言であった。底意地が悪く、弁天小僧のゆすりの方がもっと可愛げがある。
さらに橋本は、民進党代表・岡田克也の安倍政権批判に対して「安倍政権は、内閣支持率が不支持よりも、いまもう10ポイント以上高い。変ですね、これ。そんなに悪い政権ならば、もっと不支持が増えていい。民主党の支持率がなぜ低いのか」と、ねちねちと絡んだ。何も好きで支持率が低迷しているわけではない。安倍の支持率が高いのも、橋本のせいではない。余計なお世話を記者クラブの代表ヅラしてやって欲しくない。筆者が官邸キャップの時に首相番の駆け出しでうろちょろしていたのが、「偉い様」になりすぎた。もっとどうしようもないのが倉重だ。橋本の2乗くらいどうしようもない。相変わらずの知性を疑われるような横柄な態度で質問したかと思うと、安倍の答弁を数度にわたってさえぎるという、常識外れな質疑を繰り返した。まるでいがみの権太だ。経済に的を絞っていたが、聞けば聞くほど浅薄な経済知識が露呈して、経済専門家から見ればトンチンカンで、まるで分かっていない。全都道府県で1を越えた有効求人倍率が物語る景気の回復ぶりなど全く無視している。揚げ句の果ては「消費税は罪深い」と悟ったような問いかけをした。国民挙げて歓迎している延期がなぜ「罪深い」のか。新聞が特権階級でもあるかのように、新聞代だけ軽減税率に押し込み、口を拭って知らぬ顔をしているほうが、500倍も「罪深い」のだ。
要するに、橋本も、倉重も、自分の売名と講演やテレビ出演の増えるのを狙って党首討論を活用したのではないか、とさえ思いたくなる。そんな質問ぶりであった。日本記者クラブも、このような質問者に代表で質問させるようでは、レベルが落ちた。高い会費を徴収しているのだから、然るべき幹部が海外の記者会見の様子を見学にでも行ってはどうか。発足当時は幹部がワシントンのナショナルプレスクラブなどを見学に来て、筆者が案内したこともある。低開発国の記者会見の方が、よほど紳士的で知性的である。それに新聞記者、とりわけ政治記者が居丈高なのは、まだ「オレは政治家の発言や意向を伝えてやっている」という思い上がりが背景にあるからとしか思えない。いまやネットで情報が得られる時代である。安倍を始め政治家はFacebookなどをを活用して、発信を繰り返している。2人の恥さらしの発言でネットは炎上している。このままでは天下に恥をさらし続けるだけだ。新聞は、威張って報道してやる時代は去ったことを思い知るべきだ。まず謙虚さがなければ斜陽の状況から抜け出すことは出来まい。
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