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2007-01-09 00:00
地域共同体の領域のあいまいさ
林田 裕章
日本国際フォーラム参与・主任研究員
2006年12月22日付の本山健一氏の投稿「公式な制度と非公式なネットワークの多層化」の論旨には、大いに同意できる部分があった。特に、「ネットワークの構築のみで共同体が形成されるか否かといえば、疑問の余地もある。ある地域を共同体という言葉で定義するには、少なくとも、域内諸国の行動が共通の価値と規範に基づいていることが必要であり、FTAやEPA等の機能的統合のみでは、共同体と呼ぶに足らないからである」というのはまさにその通りであると思う。
東アジア共同体が実体として形成されるのが果たしていつごろになるのかは分からないが、到達点のあるべき姿としては、本山氏の言うとおりだろう。問題は、方法論だ。共通の価値と規範を持った特定の地域共同体というのは、「東アジア」地域において、どういう手順を踏んだら形成されうるのか。実はこの問題を考え出すと、私の頭の中はいつも霧がかかったような状態になり、きれいに割り切られた答えが出てこない。その理由は何なのだろうか。
2005年12月、クアラルンプールで、アセアン+3(APT)首脳会議に加え、初めて東アジア首脳会議(EAS)が開かれたが、いずれの会議も共同宣言に、将来目標としての「共同体」という字句を入れた。中国などは、東アジア首脳会議(EAS)の宣言に「東アジア共同体」を想起させる字句を盛り込むことに反対したようだが、同会議にオーストラリアやニュージーランドとともに参加したインドが、「共同体」を盛り込むことを強硬に主張したという。将来、東アジア首脳会議(EAS)の参加国は東アジア共同体の加盟国を意味するのか。あるいは、東アジア共同体の加盟国のみが東アジア首脳会議(EAS)に参加するのか。それとも、東アジア首脳会議(EAS)の参加国であっても東アジア共同体の加盟国でない場合がありうるのか・・・・。
そのへんの見通しが立たないから、頭の中のモヤモヤが晴れないのだ。アセアン+3(APT)首脳会議も東アジア首脳会議(EAS)もアセアンが主導権を持って開いているが、そのアセアンにリーダーシップがないから、霧はますます深くなる。日本、中国、インド、アセアン、そしてAPEC内でのFTA構想を打ち出した米国。それぞれの思惑が絡み合うから、どういう手順で「東アジア共同体」の領域が決まっていくのか、予想が難しい。今月中旬、フィリピンで開かれる2つの首脳会議(アセアン首脳会議を入れれば、3つの首脳会議)での議論の行方を注目したい。
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