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2016-06-03 00:00
安倍は「賢者は聞く」を悟れ
杉浦 正章
政治評論家
官邸筋によると5月30日の安倍・麻生会談は「爺さん自慢に終始した」のだという。巷間の俗説では、消費増税延期で財務相・麻生太郎が3時間にわたる首相・安倍晋三の説得に、やっと首を縦に振ったとされるのが、同日の会談だ。しかし、いくら麻生太郎が「解散だ」と首相の特権を奪ったかのように芝居をしても、もともとが盟友関係の出来レース。誰もが「大芝居、さもありなん」ということになる。確かに両者とも、爺さんは自慢に値する。麻生が吉田茂の孫なら、安倍は岸信介の孫だ。戦後の日本を立て直した名宰相である。ただ安倍は、もう1人の名宰相・佐藤栄作を叔父に持つ。どっちが偉いかと言えば、2人の名宰相の血筋を引く方が偉いのだ。岸と佐藤は兄弟であるからだ。
政治記者を半世紀もやっていると、蓄積されたノウハウや理屈よりも、まず政治家を容貌で判断してしまう癖がつく。容貌を見れば、長期政権か短期かが分かる。鳩山由紀夫も菅直人も顔を見てすぐに「長続きしないな」と思ったが、その通りだった。総じて日本の首相の容貌は、豊臣秀吉型と徳川家康型にわけられる。家康型はその子孫まで300年間にわたり統治を続けた。家康型は肖像画を見れば分かる。ふくよかで、目鼻立ちが大きく、安定感がある。容貌だけで説得力があるのだ。秀吉型は、田中角栄や小泉純一郎だろう。知略で持つタイプだ。このタイプはエネルギーの消耗が甚だしく、家康型に比べると損している。安倍の場合はどうかと言えば、歴代最長の7年7か月続いた佐藤栄作の顔を受け継いでいる。容貌は、出っ歯の祖父でなく、叔父の血筋を受け継いだような気がする。まさに家康型の容貌だ。佐藤は「政界の団十郎」と言われた絶世の美男子だったが、安倍も佐藤ほどではないが、容姿が整っている。家康型のポイントは、存在するだけで説得力があることだ。威圧感があるのだ。だから政治記者は淡島の佐藤邸に夜回りをかけるときは、内心「誰か他の社が来てくれないかなあ」などと思ったりしたものだ。「2人だけで会うと怖い」というのが定評だった。とりわけ「沈黙の時が怖い」のだ。威張っている政治記者だって、怖いことはあるのだ。
安倍は怖さがなく、むしろ気安さが感じられる。佐藤の支持率は30%前後で、安倍と比べると低迷していたが、長期政権であった。沖縄返還の大事業が長期政権にした。大野伴睦が「伴ちゃん」と愛称で呼ばれていたのを佐藤はうらやましがって「栄ちゃんと呼ばれたい」と本音を漏らしたことがあるが、支持率が気がかりであった。安倍はその点「安倍ちゃん」と呼ばれている。支持率の高さもこの辺にあるのだろう。佐藤の言うことは何を言っているのか分からない事が多かった。とりわけ予算委答弁などは、後でメモを見て発言を判読するのに一苦労だった。これに比べると、岸の答弁はクリアカットで、分かりやすかった。安倍はどうも切れ味は岸の方を受け継いだような気がする。国会答弁を聞けば、ぽつりぽつりの佐藤型や、「一言断定型」の小泉とは違う。立て板に水なのである。すべてが頭の引き出しに入っていて、野党がどんな質問をしても、あふれるように答弁して間違わない。こんな首相はかつて見たことがない。野党は時間稼ぎと批判するが、そうではない。
なぜなら安倍は吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」を座右の銘としている。「こちらが懸命に誠の心を尽くせば、感動しない人はいない。誠を尽くせば、人は必ず心を動かされる」という意味だ。だから懸命に説得しようとするのだ。マスコミ界の長老がかつて安倍を評して「一生懸命なところが可愛い」と述べていたが、年長者から見るとたしかにそう見える。しかし田中角栄が晩年良く口にしたのは「賢者は聞き、愚者は語る」だ。古代ユダヤのソロモン王の言葉だが、安倍も記者会見の質疑応答では、もう少し多くの質問を受ける“対話調”にしたほうが良い。さる6月1日の会見でもまくし立てる印象があったが、この辺は脱皮した方が良い。政権というものは運であり、長期政権は狙っても達成できるものではない。佐藤は60歳代後半から70代初めにかけての政権であったが、安倍は一回り若く50代後半から60代の政権だ。まさに政治家としては体力・気力・知力が最も充実した年代だ。年を取るごとに威圧感は増すが、まだ枯れるには早い。アベノミクスで日本中興の祖になることは十分可能だ。
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