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2016-01-25 00:00
いわゆる「立憲主義論者」らの危うさ
加藤 成一
元弁護士
わが国では、「立憲主義」とは、憲法によって国家権力を縛り、権力の乱用から国民の権利を守る思想や制度である、などと論じられる。昨年成立した安保法制に反対する学者の会や、日本共産党などの左翼政党、シールズやママの会などの市民団体をはじめ、立憲主義を唱える「立憲主義論者」らは、「戦争法」(安保法制)は立憲主義に違反するから廃止し、一昨年7月の集団的自衛権の限定的行使を容認した閣議決定も撤回すべきであり、「戦争法廃止」「立憲主義回復」を参議院選挙の最大の争点にして、憲法破壊の安倍内閣を打倒すべきである、などと声高に主張している。そして、「立憲主義違反」の理由は、わが国と密接な関係にある他国のための武力行使を認める集団的自衛権の行使は、たとえ限定的であっても陸海空軍その他の戦力の保持や交戦権を否定し「専守防衛」を定めた憲法9条違反であり、集団的自衛権の行使を禁じてきた従来の政府の憲法解釈にも反する、というものである。
「立憲主義」の究極の目的が、憲法によって国民の生命、自由、財産など、幸福追求の権利を守り増進することにあるとすれば、個々の法律が「立憲主義」に違反するかどうかは、すべてこの究極の目的に照らして判断されなければならないであろう。今回の集団的自衛権の限定的行使容認を含む安保法制は、「存立危機事態対処条項」が示しているように、わが国と密接な関係にある他国と共同して、外国からの武力攻撃や侵略から、他国を守るためではなく、あくまでもわが国の存立と自国民の生命、自由、財産を守るためのものであることは明らかであろう。したがって、安保法制が、他国を守るためではなく、あくまでも自国民の生命、自由、財産など、幸福追求の権利を守り増進するためのものである限り、「立憲主義」に違反するとは言えないであろう。安保法制が「立憲主義」に違反すると主張するならば、安保法制が国民の生命、自由、財産など幸福追求の権利を明らかに侵害するものであることを、単なる政治宣伝や一方的主張ではなく、客観的事実をもって証明されなければならない。「立憲主義論者」らにおいて、その証明が十分になされているとは、到底言えないであろう。
「立憲主義論者」らの共通点は、平和外交一辺倒で、日本を守る「抑止力」の重要性を認めず、中国や北朝鮮の「脅威」を無視ないし軽視し、かえって「脅威」を煽るな、などと主張することである。「立憲主義論者」らの中には、日本は島国という地政学的条件があり、外国から攻められたら終わりであるから、その場合は白旗を上げて降伏すべきである、などと無抵抗主義を説く論者や、仮に、尖閣諸島が武力で中国に占拠されたときは、日本は武力で取り返そうとせずに、国際司法裁判所に提訴すればよいなどと、中国にとって都合の良い立場の学者もいる。日本共産党の志位和夫委員長も、北朝鮮による「水爆実験」の前の、昨年11月7日のテレビ東京の番組では、「中国や北朝鮮は、リアルな脅威ではない」などと断言していた。これは、リアルな「脅威」であることを認めれば、同等の「戦争法廃止」「閣議決定撤回」の主張と矛盾しかねないことを恐れたからであろう。しかし、本年1月6日の北朝鮮による「水爆実験」以降は、さすがの共産党も北朝鮮のリアルな「脅威」を認めざるを得なくなったのである。
このように、いまだに「自衛隊違憲論」を唱え、安保法制にも反対する学者の会や、日本共産党などの左翼政党、シールズやママの会などの市民団体をはじめとする「立憲主義論者」らの主張は、平和外交一辺倒で、日本を守る「抑止力」の重要性を認めようとせず、中国や北朝鮮の「脅威」を無視ないし軽視するなど、日本を取り巻く厳しい国際環境を考えると、日本の安全保障にとって危うさがあり、彼らに日本国の存立と日本国民の生命・自由・幸福追求の権利を託し得ないことは、明らかであろう。
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