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2015-11-12 00:00
保守派の巻き返しで岡田路線が窮地に
杉浦 正章
政治評論家
ついに民主党内右派が本格的に動き始めた。時事通信によると前原誠司と細野豪志が維新の前代表・江田憲司と11月11日夜会談、民主党解党で合意に達した。解党の上で維新との合流を目指すというものであろう。これは共産党との連携を進める代表・岡田克也との路線上の対立が抜き差しならぬところまで来たことを物語る。背景には安保法制の成立と共産党による「国民連合政府」構想が大きな影を投げかけている。党内は保守派による維新との合流と、左派リベラル勢力による共産党との接近に分断される色彩を濃くしており、左派路線に乗ってきた岡田は窮地に陥りつつある。岡田が細野との代表選に左派の支援を受けて勝って以来、民主党は左派ペースで動いてきた。安保法案への対応でも共産党と歩調を合わせてデモを“扇動”するような傾向が強く、岡田の党運営に右派は不満を内蔵しながらも、なすに任せるしかない状況であった。こうした動きを見て共産党委員長・志位和夫が打ち出したのは「国民連合政府」構想だ。志位の構想は、(1)まず参院選に向けて選挙協力を民主党との間で推進し、将来は自民党政権を倒す、(2)その上で「国民連合政府」を結成し、安保法制を廃止する、というものだ。
これに対する岡田の考えは、各選挙区で2万票に達する共産党票は欲しいが、一緒に政権を取るのは無理だ、というものだ。共産党には「連合政府は無理だが、選挙協力は推進したい」と回答している。これには、かつて2009年の総選挙で、民主党圧勝と読んだ共産党が選挙区への候補擁立を自主的に見合わせ、民主党政権への流れを後押ししたことから、その夢よもう一度という思惑がある。こうした民共接近の動きに、保守派は「政策なしの野合」と反発、まず若手が動いた。岸本周平ら中堅若手衆院議員7人は去る9月3日、自民党に対抗する勢力をつくるため、民主党を解党した上で、新党を設立するよう求める要望書を岡田に手渡した。しかし看板にこだわる岡田は、解党に否定的で、記者会見で若手の要望を「相当気が早い」と取り合わなかった。さらに「先の構想が提案されているわけではない。党名を変えればいいというものではない」と述べている。
こうした中で保守派幹部がようやく重い腰を上げ始めた。11月5日党幹部らによる「8者会議」で細野が、共産党との連携志向の岡田に対して「政策の差がありすぎる。一緒にやるわけにはいかない。共産党と組んだら民主党は政権を担当するつもりがあるのかと疑われる」と真っ向から反対する姿勢を示した。その日の夜細野は、前原や元防衛副大臣・長島昭久らと会合、「選挙での票にこだわるあまりに共産党と手を組むべきではない」という方針を確認し合った。保守派は安保法制についても、あくまで部分修正で行くべきだとの立場だ。共産党は党綱領の根幹を凍結させ、日米安保条約も自衛隊も容認する方針を打ち出したが、保守派は共産党のなりふり構わぬ姿勢を民主党分断工作と受け止め、これに秋波を寄せる岡田への不信感が頂点に達していた。11日の会合はついに堪忍袋の緒が切れた形であろう。
岡田の「政権獲得のためには悪魔とでも手を組む」と言う姿勢は、生活の党代表の小沢一郎にけしかけられた色彩が濃厚だ。小沢は最近共産党と極めて接近しており、共産党側もこれを利用している。その小沢と岡田はたびたび会談しており、岡田の動きには「小沢・共産党ライン」の影響が濃厚に反映している。しかしいくら躍進しているからといって、日本に極左政権ができるかといえば、疑問がある。2009年の総選挙では、自民党政権のあまりの体たらくに自民党支持層が離反して、民主党政権が出来たという解釈が妥当である。だいいち共産党が民主党に付くとなれば、民主党独自の票が逃げる可能性が強い。「2万票もらっても、3万票が逃げる」という保守派の主張は言い得て妙である。 ここは共産党から目くらましを受けている岡田が、目を覚ますべき時だろう。「悪魔」と手を組んだ「ツケ」は大きいと見なければなるまい。当面は地道に党勢拡大に努め、2009年の時のように、いつになるか分からないが自民党が高転びに転ぶ時を待つしか、民主党には生きる道はないのだ。保守層を味方につけることができるかどうかが、民主党が政権にカムバックする唯一の道なのだ。
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