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2015-08-15 00:00
安倍は安保法制を考え「小の虫」を殺した
杉浦 正章
政治評論家
ついにあの強気な首相・安倍晋三ですら「お詫び」に言及するに到った。日本軍国主義の「業(ごう)」がいかに根深いかを物語る。軍部独走の「悪業(あくごう)」が祟りにたたり、戦後ODA(政府開発援助)を4兆円積み上げ、技術援助までする「善業(ぜんごう)」を重ても、まだ詫びなければならない。自民党政調会長・稲田朋美が「未来永劫(えいごう)謝罪するのは違う」と慨嘆するのも無理からぬものがある。しかし和解へと動くかに見える極東情勢や、佳境に入りつつある安保法制を考えたら、首相・安倍晋三は自らの政治信条という「小の虫」を殺して、「大の虫」を助けざるを得ないのだろう。小異を残し大同につくのだ。風圧を耐えるその姿勢には「男の哀感」が漂うように見える。確かに過去のお詫びの例を挙げれば、昭和天皇がホワイトハウスの晩餐会で「私が深く悲しみ(regret)とするあの戦争」に始まって、村山談話も小泉談話も「私」が主語になっている。しかし安倍の場合は核心部分に「私」がない。「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」の主語は、我が国。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」も「私は・・・と思う」の形態を取らない。野党や朝日はこれをとらえて難癖を付け始めている。日本のメディアが難癖を付ければ韓国や中国のメデイアはこれを増幅させる構図が生じつつある。
どうしてこうなったかと言えば、戦後の日本のODAや技術援助に「お詫びのしるし」という“のし紙”を付け忘れたからだ。狡猾なる周辺諸国はのし紙が付いていないから天からの当然の贈り物として受け止め、近代国家への脱皮ができたことで日本に感謝することなどあらばこそだ。日本人は人が良すぎるのであろう。主語がない理由は、安倍が社会党の村山談話などに同調することを渋る、リラクタントであったことを意味する。安倍は当初から「侵略の定義はない」「同じものを出すのなら名前だけ書き換えればよいだけの話になり、談話を出す必要がない」と述べている。閣議決定をやめて「首相の談話」にしたがったのもリラクタントを物語るものであろう。だからといって朝日が8月15日の社説で「この談話は出すべきではなかった」と全面否定し、何でも反対に先祖返りした村山富市が「焦点がぼやけて、村山談話を引き継いでいない」と左翼教条主義丸出しの批判をするほど無意味かと言えば、全く違う。
冒頭述べたように「あの安倍」ですら「お詫び」の言葉を使わざるを得ないと言うことは、日本人の大半がお詫びの気持ちを持っているということである。加えて安倍はおわびをしないことが「戦争法案」のレッテル貼りをいよいよ強めることに思いが到っていたのであろう。談話の中で繰り返し「平和国家」路線の維持を表明したのも、安保法制への誤解を解く意思が明確に見られる。そもそも閣議決定した首相談話に痛切な反省、心からのお詫び、侵略、植民地支配が入っていることは、重く受け止めるべき問題である。間接的であろうが何であろうが、文字が入っただけでもこの場合重要な意義を持つのだ。こともあろうに被害者の外国ではなく国内から次から次に要求拡大の声が出るのは、政権揺さぶりという魂胆が透けて見えるのであり、外交問題を自らの闘争の手段とするような卑しさが丸見えではないか。朝日も、毎日も、東京も、日本の新聞なら、他国のメディアを煽るような態度を取るべきではあるまい。安倍の選択はオーストラリアの盟友、首相・アボットが歓迎の意を表明し、インドネシア外務省までがNHKに「痛切な反省を尊重し敬意を示す」ともろ手を挙げて歓迎しているではないか。「常識ある国」では十分通用する表現なのだ。
中国も、メディアは朝日などにつられて厳しい対応をしているが、共産党政権は歴史認識追及はそろそろ打ち止めにしたい感じが出ている。バブルが弾けて、日本からの投資が激減していることを、何とか是正したいというのが本音だろう。さる3月の全人代も「70周年を和解の年にする」との方向を打ち出している。中国国家主席・習近平も安倍との2回目の会談で、「9月3日の抗日戦争勝利記念日でも、今の日本を批判する気はない」と述べ、安倍を記念行事に招待した。安倍は9月3日前後の会談を検討しているが、14日のNHK番組で「行事が反日的なものではなく、融和的な行事になることが前提ではないかなと思う。3回、4回と回を重ねて行きたい」と発言、条件次第では3日の記念日でも訪中する意向をほのめかしている。ロシア、韓国以外では、ろくな国が参加しない式典が一挙に盛り上がり、習近平のメンツは立ちすぎるほど立つ。恩を売るにはもってこいだ。さらに安倍は10月にもあり得ると予想されている「日中韓3国首脳会談につなげてゆきたい」とも述べた。朴槿恵がどう出るかは未知数だ。例によって悪意丸出しの韓国メディア報道の影響を受けるか、無視して朴自身の活路を切り開くかの選択を迫られているのが実態だろう。今こそ中韓両国も安倍と同様に「小の虫」を殺して大局を選択すべき時だろう。朴が安倍の陳謝にもかかわらずさらなる要求を拡大するなら、もう勝手にすればよい。極東の小国がひたすら孤立化の道を歩むことになるだけで、朴は何も打開できない大統領のままその任期を終えることになる。
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