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2015-07-18 00:00
イランとアメリカの関係改善までの長い道のり
川上 高司
拓殖大学教授
イランと、常任理事国とドイツが加わった6カ国との協議が大詰めを迎えた。ロシアのラブロフ外相も参加し、いよいよ歴史的な瞬間が訪れた。当然ながらイスラエルは猛反発し、イランの核開発を認めることは中東での核の拡散を招くと主張していた。だがアメリカは合意に向けて進んだ。1979年以来こじれたイランとの関係が、長い道のりを経てようやく改善したのである。その長い道のりを英のメディアがふり返った。
1979年のテヘランの米国大使館人質事件とその救出の失敗で、アメリカとイランの関係は壊れてしまった。だが舞台裏では、両者は密かに関係の修復を模索し努力してきた。特にイランはアメリカとの関係悪化を望んでおらず、表舞台での強い非難とは裏腹にアメリカに協力的な姿勢を見せることもあった。1989年には、イラン・コントラ事件が発覚した。1991年には、第1次湾岸戦争の際、ペルシャ湾に米軍の駐留を容認した。本当にアメリカと敵対していたのなら足元に米軍の駐留を受け入れることはないはずだ。
1997年から就任したハタミ大統領はアメリカのプリマスなどを訪問し、ピルグリムファーザーズたちに共感を示すほどだった。2005年には、当時の6カ国協議のイラン代表だったロハニ氏は、IAEAのトップだったエルバラダイ氏にアメリカとの関係改善の仲介を頼んだという。その後のアハマドネジャド大統領はアメリカを非難する口調は厳しかったが、2006年にはブッシュ大統領に関係の改善を求める書簡を送っている。また、アハマドネジャド大統領は2010年の国連総会でのスピーチではコーランと聖書を携えてイスラムとキリストの宥和の姿勢を示すなど、イランはアメリカへ常に秋波を送っていた。
その秋波をアメリカ側がどう受け止めるか、が問題だった。ブッシュ大統領はイランを「悪の枢軸」と名指ししてイラン側の不信感を買ったが、オバマ大統領になると空気は一変しイランとの関係改善に向けて本気で取り組む体制となった。その責任を背負っていたのがバーンズ元国務副長官だった。彼が大統領の意向の下で存分に外交を展開したのである。ここまで来るのに実に36年の歳月がかかっている。長い道のりだったことを思えば、ゴールは間近とイラン側が評価したのは当然である。今更多少合意が先延ばしになったとしても、イランからすればたいした問題ではなかっただろう。外交関係は一朝一夕には確立しない。地道な長い積み重ねこそが重要であることを改めて思い知らされた。
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