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2015-05-18 00:00
世界は歴史戦争の時代へ
加藤 朗
桜美林大学教授
戦後70年の世界の安全保障環境の変遷を振り返ると、おおよそ次の三つの時代に大別できる。1945年から1989年の冷戦時代、1990年から2009年までの対テロ戦争の時代そして2010年以後である。中国がGDPで世界第二位に躍進しアメリカの覇権に挑戦し始めた2010年以降を、歴史戦争の時代と名付けたい。今や世界は歴史をめぐって争う時代に入った。振り返ると2014年3月ロシアはウクライナ領のクリミアを併合し、ソ連崩壊後初めての領土拡大を果たした。ロシアはさらに軍事力を背景にウクライナ東部の割譲を目論んでいる。まるで、かつてのロシア帝国の復興を夢見ているようだ。また同年6月、イスラム世界ではアル・バクル・バグダーディがカリフを自称し、オスマン朝以来途絶えたカリフ制のイスラム国の誕生を宣言した。イスラム国は第1次世界大戦後に画定した中東地域の国境線を否定し、かつてのオスマン朝の版図を超えて中東、中央アジア、北アフリカさらにイベリア半島、インドネシア、マレーシアにまで及ぶカリフ制国家を構想している。歴史が1世紀も逆戻りしたかのようである。
目を東アジアに転ずれば、同じように100年以上も昔に回帰したのかと思えるほど歴史をめぐる対立が日中韓の間で繰り広げられている。中国習近平体制は、2049年の建国100年に向け「中華民族の偉大な復興」を掲げ、「一帯一路」構想の下、南シナ海からインド洋への海洋進出を目指し、陸上では中央アジア諸国への影響力の拡大を目指している。また中国は、日清戦争で逆転した日中間の地位を再逆転し、日本からアジアの大国という地位を奪い返す手段として尖閣問題を使い、歴史認識問題で日本の世論を揺さぶっている。韓国は相対的に縮まった国力差を背景に、日本による植民地支配の「恨」を今こそ晴らそうと、植民地問題、慰安婦問題と歴史問題にばかり拘泥し日本への非難を続けている。朴槿恵大統領は、2013年5月に米議会上下両院合同会議でワイツゼッカーの「過去に目を閉じる者には未来が見えない」を引用して暗に日本を批判したことがある。しかし、現在韓国はチャーチルが残した名言通りになっている。「過去にこだわるものは未来を失う」。過去に囚われすぎて朴政権は日韓関係で二進も三進もいかなくなっている。
ただし、その責任の一端は日本にあるかもしれない。日本でも中韓同様に歴史に回帰し、戦後憲法制定前までに時計の針を戻して憲法を見直そうとの動きが本格化し始めた。「普通の国」願望だ。環境権や緊急事態の条項を新たに付け加えるだけならともかく、九条を改定して普通の国を目指すことは、中国の後塵を拝するアジアのただの二流の普通の国になるということに他ならない。変化する国際環境に合わせて憲法を改定するのは当然ではないかとの主張があるが、それは本末転倒である。憲法は国柄を表し、国家の理想を世界に宣命する宣言文である。理想と現実が乖離するのは当然である。吉田ドクトリンのように理想と現実の妥協はあり得ても、理想が現実と合わないから、理想を引っ込めるというのは話が逆だ。
理想に向けて努力することを昭和天皇はじめ我々日本国民は世界に誓ったのだ。それは日本のみならず世界の理想である。この理想を掲げる憲法を持っている限り、日本は世界の平和大国というアイデンティティを持つことができる。それこそが東アジアの歴史戦争から抜け出し、アジアの指導国、一流国家の地位を確保する唯一の道だ。フランシス・フクヤマは「歴史の終焉か?」でいみじくも指摘していた。いずれ世界は平和の退屈さに耐え切れず、歴史に回帰するかもしれない、と。退屈さというよりも、どのような世界が望ましいのか、世界は歴史にしか未来の展望を見いだせない状況に陥っている。歴史戦争に勝ち残るには、あるべき未来の世界を構想するソフトパワーをつけることである。それは憲法九条である。
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