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2015-05-09 00:00
百田尚樹氏の小説『永遠の0』をどう読むか。
若林 洋介
自営業
百田尚樹氏による小説『永遠の0』をどう読むのかについて述べたい。『永遠の0』の主人公・宮部久蔵は、もともとイデオロギーとは無縁のところで生きている。だから彼は「素朴に家族を愛し、素朴に祖国を愛した」人物で、ある意味であの時代を生きた日本人の大多数の庶民感覚の中に生きている。彼にとっては「所与の時代状況」に翻弄されながらも、人間としての矜持を必死になって守るほかに生きる術はなかった。しかも、日本国民として、海軍軍人としての任務に忠実な人物として描かれている。大正8年生まれとなると、私の父と同じ世代であるが、宮部は15歳の時(昭和9年)海兵団に入団したことになっているので、満州事変(昭和6年)、満州国建国・5.15事件(昭和7年)国際連盟脱退(昭和8年)という時代状況の中で生きていることになる。「家族への愛」と「祖国への愛」との狭間で、苦しみ悶えながらも、一人の人間として、自らの人生を見事に生き切る。右翼が批判するのは、彼の「祖国へ愛」が、大東亜戦争を「聖戦」にまで昇華し切れていなかったからである。また左翼が批判するのは、彼の「素朴な祖国への愛」なるものが、実は愛国心を強調する国家の教育によって、意図的に植え付けられたものであり、その自覚が宮部久蔵にはまるで感じ取れないからである。
「家族の物語(ファミリー・ヒストリー)」としては、『永遠の0』は成功した作品であることはまちがいない。ただ「祖国の物語」は、彼にとっては「疑いようの無い所与の時代状況」そのものであって、「軍人としての職務を全うする」という職業倫理以外に考慮の余地のないものであった。15歳で海兵団に入団し、軍国少年としての教育を受け、海軍の職業軍人として生きた宮部にとっては、「国を愛すること」は「軍人としての職務を全うすること」以外のなにものでもなかったと読むことができる。昨年、学徒出陣でB・C級戦犯として処刑された木村久夫氏の遺書が新聞紙上で公開されたが、京都大学経済学部の学生で研究者を志した学徒兵の戦争体験は、『永遠の0』の宮部とはかなりちがっている。また学徒兵の遺書・日記などを掲載した『はるかなる山河に』などを読むと、学問を志して道半ばで戦地に向った知識階級の戦争観という感じがする。学徒兵たちにも、当然「素朴な家族への愛」があり「祖国への愛」があったが、知識・教養を身につけた学徒兵たちは、戦場にあっても「自ら考える」ことを放棄しなかった。「人生とは、死とは、戦争とは、平和とは、国家とは」について「自ら考えること」を最後まで放棄しなかった。
『はるかなる山河に』では、「先輩も自分も大東亜の建設のため、日本の安寧平和のために死んでゆき、あるいは傷つく。傷付いたくらいのものはともかくとして、死んだ者を考えよう。彼らは大東亜の建設日本の隆昌を願って、それを信じて死んでゆくのだ。自分もそうだ。そしてその大東亜の建設、日本の隆昌がとげられたら、死者また冥すべし。もしそれが成らなかったらどうなるのだ。死んでも死に切れないではないか。・・・率直に言うならば、政府よ、日本の現在行なっている戦いは勝算あってやっているのであろうか。空漠たる勝利を夢見て戦っているのではないか。国民に向って日本は必ず勝つと断言できるか、いつもこの断言のためには非常な無理に近い条件がついているのではないか。・・・一度兵営に入ってしまえばそれまでだろう。何も考えないであろう。それが一番幸福かも知れない。考えれば考えるほど矛盾に陥る。しかし人間は考える葦ではなかろうか」との文章が印象に残った。ひるがえって『永遠の〇』の主人公の宮部には、このような「祖国のあり方」についての問いは全くない。彼は、もともと軍国少年としての教育を受け、15歳で海兵団に入団した志願兵であり、職業軍人。別の職業をもった農家の跡取りや、八百屋さんや、豆腐屋の若主人が、召集令状一枚で、いやおうなく戦地に駆り出された兵士ではない。しかも海軍の飛行兵であるから、陸軍で鉄砲その他の重い荷物を肩にかついで熱帯のジャングルの中を1日何十キロもの行軍し、飢えと乾きと疫病の中で、野垂れ死んでいった兵士達とはあまりにもイメージが違っている。
子供の頃『少年マガジン』で千葉てつやの「紫電改のタカ」という連載マンガがあり、愛読していたが、それを小説化したようなカッコのよさが、『永遠の0』の戦闘シーンの描写から感じ取られた。同じ戦争(戦場)でも、航空戦の戦闘シーンは、カッコよく描かれやすい。昔は、三船敏郎や加山雄三が主演した『太平洋の翼』や『零戦燃ゆ』など、戦争の悲劇性と共にカッコのよい戦闘機パイロットたちの主演する映画が結構作られていました。最近、DVDで『ミッドウェイ囮(おとり)作戦』という戦時中(1944年)に作成された映画を見たが、米国の側から太平洋戦争がどう描かれているのかを理解する上で非常に勉強になった。『永遠の0』の小説を読んだり、映画を見たりした方々には、それをきっかけとして同じ時代状況を描いた小説や映画もどんどん読んだり、見たりしていただきたい。そういうキッカケを与える作品としては価値があるが、この「物語」の世界に浸っているだけならば、大いに問題がある。なぜなら『永遠の〇』の主人公宮部は、自らの人生を立派に生き切った日本人であるが、「自ら考えること」をしなかった日本人の典型的人物と考えるからである。
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