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2015-05-08 00:00
イスラム国は2003年のイラク侵攻から始まった
川上 高司
拓殖大学教授
2014年1月のある朝、シリア北部の小さな街で、一人のイラク人が殺害された。彼のことを知る者はおらず、後になってようやく通称「ハジ・バクル」と名乗る者だと判明した。だが、誰も知らないということが彼のアイデンティティを物語る。ハジ・バルク、本名はサミル・アブド・ムハマンド・アル・カリファイといい、サダムフセイン時代の空軍の情報将校だった。バルクこそが、イスラム国(IS)を考案しコントロールしていた陰の支配者だった。バルクはISの青写真を31ページに及ぶレポートに書き、カリフ国の建設のプランを立てて実行していったのである。そのレポートをドイツのスピーゲル誌が入手し公表した。
スピーゲル誌によればバルクのプランの特徴は、情報機関、つまりスパイを駆使して侵攻する地域の住民の情報を集めて、リクルート、誘拐などを実行し支配を強めた点にある。情報将校らしく、情報によって人々を支配しようとしたのだ。そして弁護士や教師など知識層を誘拐、殺害して将来対抗しそうな勢力を排除していった。バルクは、たとえば誰がどんな家具を必要としているかという詳細な情報まで集めようとしていたようである。
なぜイラク人がイラクを侵攻するのか。始まりは、2003年のアメリカによるイラク戦争だった。イラクに侵攻したアメリカは、イラク軍を武装解除した。当時情報将校だったバルクは、失業し地下に潜伏するようになった。新しいイラク政府はシーア派で、スンニ派は冷遇されるようになった。
とりわけフセイン時代のバース党員だった者には厳しい時代となった。やがて反米の下、旧バース党、元軍人、スンニ派過激派グループとシリア政府が結束するようになった。ここに、バルクとシリアとの繋がりのルーツがある。後にシリア政府とISは地下で繋がるのである。シリア自由軍とアル・ヌスラが結束してISに対抗するようになると、シリア政府は密かにシリア自由軍に対して空爆してISを支援したという。ISは、アメリカのイラク侵攻にその源があると言える。10年かけてイラクを追いやられたバルクたちは戻ってきたのだ。イラク人にとって戦争はまだ終わっていないのである。
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