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2015-03-10 00:00
(連載2)邦人救出と改憲議論について
加藤 朗
桜美林大学教授
これまでも何度も主張してきたが、日本国憲法は元来国家に対して国民を武力で護らないよう約束させた世界でも画期的な平和憲法である。国民は自らの安全を自らで護ることを決意したのである。日本国民は憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のである。つまり国際社会はホッブズのいう「万人の万人による」闘争状態ではなく、ロックのいうように万人は平和な状態にある。それが日本国憲法の大前提である。
常識的な憲法解釈は、あくまで国家には国民を護る義務があるとしている。たとえば2015年2月8日『朝日新聞』の長谷部恭男・早稲田大学教授との対論で杉田敦・法政大学教授は、「近代国家には自国民を保護する義務がある」と強調している。長谷川教授も「はい。これは国民国家である以上「ある」としか言いようがなく、ありかたは国によって違います」と同意している。全く御説の通りである。近代国家には国民を護る義務がある。しかし、国民が国家に対しその義務を履行しなくてよいと定めたのが日本国憲法ではないのか。だから、元来個別的自衛権も含め国家には自衛権はあるが日本政府は国民との約束によって行使できないのである。まさに「ありかたは国によって違います」と長谷川教授が言うように、日本は国家の国民防護義務を国民が拒否した国家なのである。
では、今回のような人質事件が起きたらどうするのか。たまたま必ずしも平和を愛さない諸国民がいたに過ぎないと諦め、平和憲法に殉ずるしかない。憲法に殉ずる覚悟さえあれば、安倍首相の改憲論議など一蹴できるではないか。その覚悟がなく、いくら改憲反対などと叫んでも何の効果もない。日本の憲法の平和主義を今一度再確認し、全国民が憲法に殉ずる覚悟を決めることでしか安倍首相の改憲に対抗する手段はない。
だからこそ、共産党を含め護憲派は安倍首相に宣言すべきである。「戦争という手段で「国民を守る」ことなどしなくてよい、と。何故護憲派は声を大にして「自らの身は自らが護る」と言えないのか。何故テロリストに「憲法を読んでね」と言えないのか。(おわり)
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